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2008/02/11

尊厳死に思う

佐藤泰然(さとうたいぜん、文化元年 - 明治5年4月24日)は、医師。名は信圭(のぶかど)号は紅園、泰然は通称。順天堂大学の基礎を作った人物として知られている。{くわしくはウィキペデアサイト}

吉村昭著「死顔」に蘭方医佐藤泰然についてのことが次のように記してあった。

幕末の蘭方医佐藤泰然は、自らの死期が近いことを知って高額な医薬品の服用を拒み、食物をも断って死を迎えた。いたずらに命ながらえて周囲の者ひいては社会に負担をかけぬようにと配慮したのだ

常日頃思っている尊厳死のことを明快に記してあった。また葬儀についても家族葬として香典・弔花・弔問はお断りとすると。

義理は死んでもでも引きずって逝くことはしたくない。人は高齢になればなるほど死を迎え葬儀場にお悔やみに来る方々はにこやかに参加されるのではなかろうかと思う。寿命を全うしたからである。

しかし夫婦・家族は何歳になろうが別れの悲しみは深いのである。夫婦・家族のみでしかわからない人生の道程がそこにあるからだと思う。言葉ではあらわせない、かなしみが深いのである。高齢になるほどそれは深くなる。と思う

吉村昭著「死顔」(新潮社)を何度も読んだ。

著者の忍耐力・著作にかける情熱・に私は生きることを教えられた。

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コメント

 江戸時代、鎖国中にもかかわらず、西洋医学的なことをやっていた多くの名医が全国にいたんですね。
 ”名”といわれる方々は医者に限らず、自らの死期を悟り、従容としていたものだということをよく聞きます。現代にあっては、なかなか難しいことですね。よき死とは、よく生きた証でもありたいものです。

幕末の蘭方医佐藤泰然さまのようでありたいと願っていますが
現代は病院に無理にでも連れて尊厳が守られない時代なのかもしれません。
昔は人間らしい死が自然にあったような気がいたします。

michikoサンwatari14さん コメントありがとうございました。

<よき死とは、よく生きた証でもありたいものです
<昔は人間らしい死が自然にあったような気がいたします。

同感です。

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