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2008/05/12

生命時間を過ごすこと その5

そのころ家の裏窓からの風景は、もやし畑が200mくらい続いているその先は高さ5mくらいの砂山が海岸線にそって横に広がっているのが見渡せる。にせアカシヤの木や黒松が植林されて数年しかたっていなく樹高は低かった。アカシヤの木だけは4m位のものもあったと記憶している。この記憶の証明はチャンバラごっこのための必須の道具である刀をアカシヤの木の刀らしい枝ぶりを折って樹皮を剝く、そのときのアカシヤの青臭い独特の香りをいまでも忘れない。長刀・短刀を作り母が仕立ててくれた着物の帯に重々しくゆっくりと差すのである。刀が作れるアカシヤの樹高であった。いっぱしの武士になったと思い込んでいた。

このチャンバラ遊びも紙芝居のおじさんの拍子木の音が聞こえるとチャンバラは即中止し戦場の砂山から町の道路脇に設置される所定の場所に走る。そこには小さい子供たちや女の子が集まっている。私は背の低い子を前に整列させ背高の順に見物席が出来あがる。小父さんは黄粉飴を観覧料と引き換えに渡す。これも大きな大きな楽しみであった。

町内の子供を集めて夕刻までいろいろの遊び方を見つけては遊んだ「時々母に注意された。○○ちゃんが帰ると言った時にはすぐ帰すのよ」私は町内の餓鬼大将になっていた。

ある日、遊びから外れた子の家に行きその子のお母さんに談判に行ったことがあったようだ。母にそのお母さんから苦情があったと、大きくなってから聞いたがそのことの記憶は私の脳内にはない。母はお菓子折を持って謝罪に行ったと言う 私の記憶にないのは母が私を叱らなかったからであろう。

帰宅の促す声が各家から聞こえてくる夕刻近くまで遊んだ。私は一人になっても明日の遊びを計画するのが好きだった。刀になりそうな枝ぶりを見定めたり、砂山を一部平地にするためトロッコによる砂運搬作業を見物し何時か乗ってみようとか、いろいろあった。何度呼ばれても帰ってこない私を8歳上の姉が迎えにきて「坊やもう帰りなさい!」と叱られることがたびたびであった。

秋の夕日の映える時は砂山が赤く見えた みんなの笑顔も赤色に見えた。

黒い電線に赤とんぼが同じ方向に整列してとまると電線は赤くなる。
空中には鬼やんま・塩カラトンボ等がすいすい行き交う これを捕獲する方法は、糸の両端に石を結ぶ 当時は砂利道であるので捕獲用の石はふんだんにあった。細長い石がよいのである。両手で左右の石を持って鬼やんまが飛来する寸前に上空高くフォオリ上げる。トンボは石を餌と思って飛びかかると糸が羽根に絡まれば成功である。成功率は高くなかったが成功した子供の歓声が上がる 家に帰って昆虫の標本にするのである。

夕刻になると畑の肥料を荷台に満積した牛車や馬車が肥料のくさい臭いを発散させながら砂利道に車音を大きく軋みながら通る。

トンボを捕獲できなかった私の前を牛が大きな尻尾を振り上げると同時に巨大な糞をボトボトと落下させた私は腹いせに牛の大きな糞を板きれに乗せ空高くフォオリ上げた。

格言にある通りのことが起きた。その落下してきた糞がまともに私の天を見上げている顔にビシャリとホットドック状に付着したのである。友はキャーと言って逃げて行った。泣きべそをかきながら家に飛び込んだ 母は仰天した。 夕飯の支度中であった母に叱られながら外に連れ出された。バケツでお風呂の湯を頭から浴びせられ風呂場で洗濯石鹸でごしごし時間をかけ洗浄された。母も私も臭い臭いと連呼し続けであった。

牛の臭いは数日たっても皮膚に染み込んで取れないものであることを知った。今でも老化した脳にも、はっきり記憶されているのである。その臭いは牛を見かけるたびに思いだす。 つづく

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昨日トイブードルの幼犬(名は春)が家族に加わった。老妻が抱き撫でていたが春は腹を上にした。服従しますの行動だそうである。私には見せない 春が上位で私が下位である。

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コメント

生の牛糞は そんはに臭いものなんですネ!!

子供の頃は「ご飯ですよ!」と呼びに来るまで遊んでいたものですよね。
あたりの家家も友達の顔も夕焼けに染まっていましたっけねぇ・・・。
帰り道はお魚を焼く臭いが漂っていて・・・
「あした てんきになぁれ」と下駄を宙に飛ばしたんですよネ!!

michikoさんコメントありがとうございました。

あのころの気象環境が正常の姿なんですね。各家の玄関は開けっぱなしで本当の自由がありました。

クオリアさんより10年遅れで歩む私も、牛糞は浴びませんでしたが、その他は似たようなことをやってました。チャンバラごっこ、紙芝居などなど。
畑に四角い木枠を作って、稲藁などを積んで、牛糞・人糞などをかけて、堆肥をつくるんですね。熟成すると少しづつ木枠を持ち上げて、また藁を積んで糞をという具合に、どんどん高くしていくんですね。ある高さまで行くと、今度はそれを牛車に乗せて運ぶんですね。
懐かしいことを思い出しました。

watari14さん そうですそうです 人糞は良い肥料でした。今は飲み水で水洗する。なんともったないことか 
良い思い出でしたよね

<生の牛糞は そんはに臭いものなんですネ!!>michikoさん 臭いでしょう

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