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2008年8月

2008/08/31

今日は二百十日

今年はうるう年で八月三一日が二百十日にあたる。夏らしい天気は少なかった今日三十一日は朝から強い雨に見わわれた午後から小雨となった午後四時ころには088312_3青空が小さく見えたので暗雲と青空のコントラストがハッキリ見えた。八月最後の青空に別れをつげることができた。大雨の被害は続いている。明日は防災の日の九月一日を迎える。

八月も私の日課である午前午後の散歩は休まずに実行できたのは嬉しい。季節は秋となるが穏やかな秋らしい秋になり実りの多いことを願う 

八月三一日(二百十日)夕刻の仙台市街↓
088315_3

2008/08/29

散歩中に財布を拾った

今日8月29日も雨が続いている東海・関東地方は大きな被害が報道されていた。東北地方も大雨になる予報である。私は日課の散歩に雨具を付け出かけた時々薄日がさすが湿気が多く汗が体から噴き出す。傘を差し道路を見詰めながら歩いていた。散歩道には生協があった。バナナでも買って栄養をつけようかと思い生協入口の階段を見詰めたら階段中ほどに黒いものが見えた。黒い財布であった。中身も見ずに、そそくさと拾い上げて生協内のカウンター係に急いで届けた。係員が中を確認していた。「拾得物預かり証」に記入するよう言われた。拾った場所等を記入し終えてからバナナを購入して散歩再開した

落とした方はさぞ困っておられるだろう、お爺さんだろうか、お婆さんだろうか早く気がつけばいいが 自分の財布はあるか不安になり確認してみる。バス敬老乗車証もキャッシュカードも財布に入っているのである。落としたら大変に困るな~と自分が落としたかのように心配する。

公園池の吾妻小屋で小休止バナナを食べながら命拾いしたカメゾウのことなど考えて美味しく食べた。

帰宅したときは全身汗びっしょりになっていた。早く財布の拾得物語を老妻に話したかったが水彩画教室に行っていていない。

シャワーを浴びていたら電話着信メロデーが鳴った。急いで受話器をとった若い男の声で「財布落としたものです」と言い「助かりました 本当にありがとうございました」ああ!それは良かった 学生風の若い声に聞こえたので「学生さんですか」いいえ「社会人です。たすかりました」私は財布のなかみを見ていなかったので判断ができなかった。カード 名刺も入っていたのだろう。

若い会社員なんだろうか正社員かまたは人材派遣の社員かアルバイターなのか勝ち組なのか負け組なのかな、と想像した。今はあまりにもひどい社会である。そのなかでこの方は生きているのだなと「助かりました」の声の裏で聞こえていたように思う。新聞を広げた見た また農相の不明朗な政治献金が問題になっている記事が!政治家・官僚・すべてがお金の亡者のように見えてきた。

底辺にいる人たちで今の経済が成り立っているとおもう。結婚が出来ない若人が多いと聞く、少子高齢化政策を含め大きな問題が、あまりにも多いのに「次から次へと不祥事の多い大臣が登場してくる。官僚も教師も 地位を金で買う 恐ろしい社会になった。

「助かりました」の声は悲痛にもにていた。私の心は明るくならなかった。幸せにと祈るのみであった。

私は後期高齢者の後半に入った。この社会には邪魔な存在なのだと思った日でもある 

2008/08/26

公園の池に放たれた かめぞう

8月26日午後のお遍路散歩にでた。休憩場所は公園の池のほとりと決めている。

八月だのに寒々とした長雨が続いている。秋の三日以上降る長雨は寂しいこの雨のことを淋雨と呼ぶが夏季に淋雨とは。異常なのだ。池の水面は暗い雨雲を映しているのでなお寂しさを感じる。

私はじっと長雨で泥で濁った水面を眺めていた。亀・鯉・魚が波紋を描きながら動いているが姿は見えない。

後ろに人の気配がしたので振り返ると老夫婦が水面を眺めていた。突然「かめぞう」「かめぞう」と水面に向かって連呼し始めた。
私は訪ねた。そしてその理由は次のような優しいことがあったのだった。

一年前の大雨の日、このご夫婦が歩道を歩いていたら30cm位の亀が歩道をよちよちあるいているのを発見した。亀はどこかの家の池で飼われていたのであろう大雨で池が満水して亀がはい出してきたと思われる、ということだった。しばらく亀の後を追いかけていたら亀は歩道の壁を越えて車道にでようとした。車道にでたらたちまち轢き殺されると思った老夫妻は迷子の亀を抱えあげて家に持ち帰り大きなたらいを購入してそこでこの亀を育てた。名前を「かめぞう」と名付けた。亀は優しい老夫妻に育てられて先日一年を迎え大きく成長した「かめぞう」はたらいでは育てられなくなった。孫達が夏休みに遊びにきた日にこの公園の池に放してあげたというのだった。夏休みも終わり孫達は帰って行った。老夫婦の静かな日が戻った。一年間丹精込めて「かめぞう」を育てた思いが心に焼き付いているのだろう。
水面に向かって「かめぞう」と連呼する声に愛情がこもっていた。水面に亀がかすかに頭が見えたがここの池には数頭の亀がいるので「かめぞう」かどうかわからないと言った。それに長雨で濁った水は透明度がない。

今日は夏休み最後の日で公園は子供たちでにぎわっていたので出てこれないのかも知れないとも言っていた。明るい空が戻って水面の濁りが無くなったらまた来ようと言って私に挨拶され帰られた。

今度はキット「かめぞう」が出てきてくれますよ命の恩人なんですからと私は言った。

にっこり笑って帰られた。寂しい淋雨の日が急に明るく感じられた。お遍路散歩だと私は思った。

                                                          夏なのに淋雨に霞む仙台市街

Rinnu

2008/08/25

晩夏の冷たい雨に思う

8月25日午前11時の散歩に出かけた。天気予報では9月下旬の気温と報じていた。晩夏といえ異常である。
老後の私の散歩は散歩と思って歩いてはいない四国八十八カ所を巡る巡礼と同じと思って歩いている。私の結願は歩けなくなるまで歩いて考えることである。

般若心経の経文のうち「是諸法空相」を生命科学者の柳澤桂子著「生きて死ぬ智慧」(小学館)の心訳には

お聞きなさい あなたも宇宙のなかで粒子でできています 宇宙の中のほかの粒子と一つづきです ですから宇宙も「空」です あなたと言う実態はないのですあなたと宇宙は一つです

と訳してあった。なにか嬉しい気がした。悟りの世界に到達した方は幸せであるとおもう。また柳沢さんの あとがきの一文に私は嬉しさが込み上げた。

・・・・・とくに老いの苦しみは、言葉では言い表せないような寂しさと苦しさをともなう。このようなときに、あるがままの自分を受け入れる修業をつんでおくことは、これからの社会にとって、ぜひとも必要なことであると思う08825 ・・・・・
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晩秋のような冷たい雨に道端の草花は戸惑っておるのではないかと思った。

四季の雨 文部省唱歌の秋の歌詞が似合う冷たい雨である。まだ実のつけていない木々も困っているのでのではないか

落葉がますます多くなってきた。 
狂ってきた地球 犯人は人間 私もその一人 せつない。

秋の歌詞は

おりおりそそぐ秋の雨、
木の葉
(このは)木の実(このみ)を野に山に、
色様々
(さまざま)に染めなして。
おりおりそそぐ秋の雨。

2008/08/17

好々爺のつぶやき

異常気象が続く夏季になってしまった。東京はヒートアイランド現象とやらで豪雨被害が出てしまった。

今日17日は秋雨のような降雨と、どんよりした暗い雲は光をさえぎり夕刻の暗さである。08817 お盆も終わったので車や人影はない、各家々から帰省していた賑やかな子供たちの声も去り静寂な団地に戻った。、

歩道には枯葉がたくさん落葉している。ときおり猛スピードで排ガス音拡大器から大きな排気音を響かせ疾走してくる。車は轍の水を車道まで放物線を描いて飛んでくる。私は傘で防御しなければびしょ濡れになる。

現代の社会は勝ち組・負け組で争っている。若者は日本の将来を見失っているためだろうかその不安が必要でないスピード、騒音に転嫁しているように思えた。

また静寂が戻った。歩道の枯れ葉が多いのも異常のように思う。童謡を口から出まかせに唸りながら歩いている。そうでもしなければこのさびしい情景を一層さびしくしてしまうのである。

今年も秋がすぐに訪れる季節になった。木枯らし吹きすさぶ冬将軍襲来も近い。

坂道になった最近息切れがすると思うのは心臓のことである。瞬間の休みもなく鼓動し続けているこの我が心臓、もう耐用年数に来ているのだと思いながら帰宅した。大宇宙と一緒に今を生きていることに感謝した。

TVでは高校野球の熱戦が映っていた。球児たち、応援者たち、の目の輝きは希望にみちていた。・・・・・・しかしプロ野球の選手選別試合のように感じる。優秀選手は億単位での契約が待っている この世界も個人の勝ち組 負け組の世界なのだと思った。

心の時代が来るのはいつのことやらと考えながら今日も終わった。

 

2008/08/08

般若心経

般若心経を暗唱できないでいるが読むほどにわからないが教えられるところが大きいような気がする。よくぞ人間の心理とゆうか宇宙規模の交響詩と感じるのである。ベートーベンの交響楽「運命」を聴くときの思いと似ているとおもう。

こんなことを気温32度の散歩中に考えていた。読書は分からなくても読み込めば分かると言う例えどおり 毎日読んでみてもなかなか暗証できない。内容が分かれば暗証できるのかも知れない。

こんなことを考えながら歩くことができる。まだ視覚もある。聞こえる。感触もある。当たり前のことができることがそして、しゃべれる こんな幸せはないと思うと、暑い夏も気にはならない 汗をかいた時、風が肌を時折なでてくれる清涼感はクーラでは感じられない。

般若心経ではこれを空の感覚とよんでる。Siran

現代はますます生きる悲しみを過当競争で倍増している。オリンピックが始まった。生きるための平和な祭典が悲しい祭典にならないように祈る 生きることが異常な悲しみの状態になりつつある現代である。

と思いながら今日も生き延びた。

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