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2009年1月

2009/01/24

蒸気機関車は心を癒す

今日(1月24日)は冬将軍が帰ってきました。気温の乱高下に負けずに寒空の午前と午後を40分づつ歩きました。仙山線踏切を電車が通過する音を聞いてると 遠い遠い昔を思い出していました。あの頃は蒸気機関車でした。いろいろの思い出が私の脳内を駆け巡りました青春時代の甘酸っぱい思い出があふれるようにでてきました。蒸気の力で機械を動かすことが人の心と相通ずるなにかがあると思います。

汽車が発車するときは汽笛一声でゆっくりと動き出します。駅弁を受け取った人が弁当代払う余裕もあるくらいゆっくり動いてゆきます。恋人との別れのシーンや転勤する人がホームの友達と握手しながら列車と並行して歩いている情景 等々

帰宅後PCを開き「eyeVioのWebページ」で思い出深い蒸気機関車のビデオが公開されていました。

SLニセコ号 オタモイ峠 を走るビデオを「鉄ちゃん坊や」さんが公開していました。何度も繰り返し見ていました。「eYeVioで見るをクリックしてご覧ください音声も入っています。」

遠い遠い若い頃を思い出し涙が浮かんでいました。汽笛の音はなんであんなにヤルセナイ音にきこえるのでしょう 人生のレールを走ってることの実感が湧いてきました。高齢になるほど速度が遅いけど思い出はいっぱいいっぱいあるのだな~「鉄ちゃん坊や」さんに感謝コメントだしました。私が今度SLを撮影する気力が湧いてきました。ポ~ポ~

2009/01/22

広瀬川畔に黄梅を見た

久しぶりに春の散歩コースである広瀬川畔に行ってみた。天気は曇天でときおり小雨 風景は春霞の走りのようである。牛越橋の標識の脇に黄梅がSany0006_3 冷たい雨にうたれながら新鮮な香りを漂わせて咲いていた。2月頃に咲く花と思っていた。春にめぐりあったよう ~

ハイビジョンカメラをポケットに入れていたので動画撮影してみた。三脚は持っていなかったので動画はぶれてしまった。

もう春は近くまで来ている

2009/01/13

雪の予報が晴れだった

今日13日の天気予報では午後雪であったが澄み切ったキリリとした空気に太平洋の水平線が自宅窓から見られた。春の季節ではこのような情景は見られない。09113 散歩も引き締まった散歩になった。自宅から国見峠を歩き臨済院弁財天堂にお参りをかねて行ってきた。

今夜から寒気が通過し路面凍結の予報が流れていた。

2009/01/01

年のはじめに漢詩を朗誦

私は年のはじめに漢詩を朗誦する。少年のころ学校の漢文の授業で偶成 朱熹の詩を教わった。

少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず

いまだ覚めず地塘春草の夢  階前の梧葉己に秋聲

人生歳を重ねるごとに素晴らしい人生の色彩も見えてくる詩であると思い、朗誦していた。今年79歳をむかえる私は「白髪雪の如く(はくしゅゆきのごとく)」になってしまった。

お屠蘇を家族でいただいた。28歳になる孫は小さい頃からその子の行動が普通ではないので心配していた。女学校のころから中国古文を始めた。今の世ではお金にならない科目である。たいていは父母は反対するのが普通であろう。老いた私は黙っていた。心中では「頑張れ 大学に入る理由はいい職業に就くためではない」と

父母は偉かったその道に進ませた。その科目を教える東京にある大学から大学院までいって卒業した。今社会人として活躍している 学問とは心を教えるところである 修めた脳は部門外でも通用する仕組みが脳にはできていると思う。

その子がまだしゃべれない赤ちゃんのころこんなことがあった。私はその子を抱いて廊下で庭の雪を見せていた私は室内の妻に顔を向けて話していたら その子は盛んに小さい可愛い指が私の頬を突っついてくる外を見ろと言ってるのだ

事実雪が大ぶりになっていたのである。それをしゃべれないので指で合図していたのである

私は「おおー大雪だな」と言った。妻は驚いたように見つめていた。

今ではその子は育ち古文にたけている。 お屠蘇で乾杯した。なにか偶成の詩がますます重要であると思った1月1日であった。

梧葉とは青桐のことだが見たのは高校生になったころとおもう

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