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2009/01/01

年のはじめに漢詩を朗誦

私は年のはじめに漢詩を朗誦する。少年のころ学校の漢文の授業で偶成 朱熹の詩を教わった。

少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず

いまだ覚めず地塘春草の夢  階前の梧葉己に秋聲

人生歳を重ねるごとに素晴らしい人生の色彩も見えてくる詩であると思い、朗誦していた。今年79歳をむかえる私は「白髪雪の如く(はくしゅゆきのごとく)」になってしまった。

お屠蘇を家族でいただいた。28歳になる孫は小さい頃からその子の行動が普通ではないので心配していた。女学校のころから中国古文を始めた。今の世ではお金にならない科目である。たいていは父母は反対するのが普通であろう。老いた私は黙っていた。心中では「頑張れ 大学に入る理由はいい職業に就くためではない」と

父母は偉かったその道に進ませた。その科目を教える東京にある大学から大学院までいって卒業した。今社会人として活躍している 学問とは心を教えるところである 修めた脳は部門外でも通用する仕組みが脳にはできていると思う。

その子がまだしゃべれない赤ちゃんのころこんなことがあった。私はその子を抱いて廊下で庭の雪を見せていた私は室内の妻に顔を向けて話していたら その子は盛んに小さい可愛い指が私の頬を突っついてくる外を見ろと言ってるのだ

事実雪が大ぶりになっていたのである。それをしゃべれないので指で合図していたのである

私は「おおー大雪だな」と言った。妻は驚いたように見つめていた。

今ではその子は育ち古文にたけている。 お屠蘇で乾杯した。なにか偶成の詩がますます重要であると思った1月1日であった。

梧葉とは青桐のことだが見たのは高校生になったころとおもう

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コメント

明けましておめでとうございます。

クオリアさんが奥様、娘さんご夫妻、お孫さんに囲まれて、お正月を迎えられた日記を読むことができて嬉しいです。

羨ましいくらい、お幸せですね。

ようこさんありがとうございます。

偶成は、いくつになっても月日の大切さ 怠りなく学ぶことを教えられます

今年もよろしくお願いいたします

新年、おめでとうございます。

お孫さんが 女学校(高校生?)の頃から漢詩をお好きだったのは素晴らしいです!!

昔、やっぱり高校生の頃に漢文の時間があって先生の朗読に続いて生徒も一斉に声をそろえて朗読したのですが、若かったせいでただ雰囲気だけわかりました。 今なら少しは深~い味わいを感じられることでしょう。

mchikoさんコメントありがとうございました。漢詩も日本のひらがなのおかげで文語体に訳せた 日本語はいいですね。

孫は中国古典を学んだのですが私にはとても難しいです。パソコンに無い漢字を作ってやりましたが 中国の古典は奥が深いと思いました。中国も昔に学べの風潮が出てきたようですね。

脳が働ける仕組みをつくるのが学校であるというのはその通りですね。多くの人が、沢山の脳細胞を使わずに一生を終えてしまうと言われてますが、何かを勉強すれば、おのずから脳細胞の連携がとれてくるのでしょうね。

watari41さん おっしゃるとおりですね 脳の細胞も遺伝子も使わないで一生終える人が殆どですね 使いすぎると短命になるのかな~?川端康成・芥川龍之介・とうとう文学関係が多く理化学関係の脳や遺伝子を使うと長生き?

と勝手に想像しています。ありがとうございました。

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