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2009/08/28

幼馴染との別れ

朝の食卓に座った時 電話が鳴った。受話器を取った私は,不吉な予感がした。

男性の声が受話器から流れてきた「大変失礼なことですが私M・Tの長男のK・Tと申します。父が昨夜亡くなりましたがなにも書き物がなく父のいつも懐に入れている財布の中にM・O様の電話番号と名前が書いたメモ用紙が入っていました。不躾ではございますが父とはどのようなご関係でしょうか」私はこの日が来ることを予感していた。
M・T君は故郷の歳も同じの幼少のころの友である。お互いに高齢になってからは幼少の思い出が強くよみがえりお互いに電話で「いつもおなじ思い出話」を飽きることなく何回も繰り返していた。彼は奥様を早く亡くされ一人暮らしをしていた。旅行やカルチャーに積極的に参加されていた。寂しさを紛らわしていたのだろう。
M・T君の特に寂しく感じられるのは夕刻 自宅に照明のついていない帰宅の時であった。日本海の夕日は特に美しく寂しさを誘う風景でもある。
私に電話が彼からかかってくるときは夕刻が多かった。彼が一人で夕食を作り一人で食べる姿を思い浮かべて叫んでいた「生きよう」と。
今年の3月はじめの電話では肝臓が悪いので通院していると聞いた。酒を飲まないのにと嘆いていた。
5月中旬には入院するという。そして電話器を切るときいつも「またね」と言葉を交わすのであったが。この時は「さようなら・さよなら」私は慌てて「なに?」すでに電話は切れていた。電話しても通じなくなった。
7月に入ってから電話が入った私は安堵したが束の間の安堵であった。彼は東京の専門病院に入院すと言った。そしてまた「さよなら」と言った。
7月の下旬の電話でこれから手術だ「元気がでないので電話した君の声を聞きくと元気がでると言った」私は大丈夫だよとしか返す言葉が なかった。かれは黙って電話を切った。

彼は秋の夕刻の帰宅時に襲う猛烈な寂しさから解放された。私は何故か先に逝った彼を羨ましくさえ思った。老病死の重荷は生きているうちは軽くならない。それに耐えて生きねばならないと思った。
彼の冥福を故郷の方角にむかって祈った。弦楽のためのアダージョの旋律が聞こえていた。

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コメント

 ご友人様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。寂しさの中で連絡できる相手がいたことは大きな心の支えになっていたと思います。

schmidt さんコメントありがとうございました。

彼は亡くなってしまいましたので私もこころから話できる友を失ってしまいました。
財布の中に私の電話番号のメモが入っていたと、ご子息から聞いた時には涙してしまいました。さよならメッセージはご子息からとどいたのですから、そして彼の旅たちの覚悟は立派だと思いました

愛妻家だった彼は、にこやかに奥様とお逢いしていると思います 

気心の分かち合った幼友達との永遠のお別れはおつらいですね。
でもMOさんのような友達が、再晩年にいらして良かったですね。
MTさんからすれば、奥様や子供たちと一緒に暮らしていらっしゃるMOさんが、羨ましかったような気がします。

一人住まいの夕方はどんなにか淋しかったことでしょう。
そんな時お話のできる幼馴染のクオリアさんの声でどんなにか救われた思いだったことでしょう。
人は必ずこの世を去る日が来ます。限りある日々を大切に過ごしていきたいです。

michikoさん コメントありがとうございました。

人生とはこのような道であると実感いたしました。

一日一日をあまり考えずすんなり過ごして生きて行きたいとおもいます。

ようこさん コメントありがとうございました。

彼の子供さんは家を離れ外国にいるので寂しかったと思っていました。

私の不在の時など私の妻とも電話していました。嬉しかったようです

お亡くなりになりましたか。
>彼は秋の夕刻の帰宅時に襲う猛烈な寂しさから解放さ れた。
そうなんですね。死はいろんなものからの解放でもあるんですね。

watari41 さん コメントありがとうございました。

時の流れはすべてを抹消してくれるものだと当たり前のことを強く思いました。

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