« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

2010年1月

2010/01/31

春を知らせる黄梅

Roby3_5

広瀬川を散策してきた。牛越橋で今年も鮮やかな横梅が広瀬川の川面を背景に見事な姿を見せていた。
春を伝える花の色は黄色が多いみたい。
蝋梅・黄梅・サンシュユ・福寿草・水仙と続き、梅が咲くまでは黄色が多いのはなぜだ
ろうと思う。
今年の春が早くやってきた。ゆっくり・ゆっくり歩いた。

2010/01/27

散歩に春を見つけた

Haru1ban

1月27日 気温10℃ 散歩道(標高250m)ゆっくり ゆっくり 歩いた。道端の草の中に直径3~5mmくらいの水色で小さい雑草の花が咲いていた。春を告げているようである。花の名は「オオイヌノフグリ」かもしれないマクロで撮って見た。

青空にトンビが舞い。飛行機雲が二すじ浮かんでいた。

今年の春は早くやってきそうなきがする。

Hikoukikumo_2

Tonbi

2010/01/23

老人の笑顔

ゆーくり、ゆーくり人生を歩いてきた老人の顔は美しいとおもう 私は映画俳優 笠 智衆さんの笑顔を見ていると心穏やかになり温もりをかんずる。

時間は止められないが止めたいと思う気持ちがあると「ゆーくり、ゆーくり」の心が無くなる。そうなると顔はきつい顔になる。

現代は時間との競争だ。 より早く より早く 飛行機なみの時速430kmのリニアモターカーの試運転がされている。自家用車も一家で2台もあたり前になってきた。

しかし高齢者は運転できなくなる。その上、都心から離れた地域の路線バスも廃止となり高齢者の心配は募るばかり、笑顔はなくなった。

また高齢になると歩行困難になってくる。バスの乗り降りも「ゆーくり、ゆーくり」となる敬老乗車証を取り出すのも「ゆーくり、ゆーくり」となってしまう。車内には「ハヤクシロ」の雰囲気がただよう 老人の顔はひきつっていた。暴走老人という著書も発刊になってるほどだ。

福井県向笠村、古代の祭りは 行列の男衆が一歩足を踏み出しては長い間、とまってからおろし次の足を上げて長い間、とまってからおろして ゆーくり、ゆーくり、練り歩くのだそうである。神が、ゆっくり、ゆっくり おいでになるからだと 聞いたことがある

このことを見てもその時代の澄みとおった自然と人とが調和のとれていたことがわかる。

現代の「すずめ踊り」「よさこい踊り」は人間の作った「はやく、はやく」の環境と調和していると思う。 踊る人たちの一糸乱れない美しさは凄い。観客の顔も眼も踊っているようにみえる。しかしなにか、たりないように思う なにかわからないけど 

後期高齢者の名前が長寿高齢者と呼び名がかわり戸惑ってしまう。少ない年金から住民税・長寿高齢者医療保険・介護保険と差し引かれる。老人から笑顔がなくなった。長寿という空虚の言葉が響くのみ。

ATM(現金自動預け払い機)の操作にとまどう長寿者が多い。時間がかかるので行列ができてしまう。おろおろしてしている人を見かける。銀行の窓口で用を済ましていた人たちにはATMは苦手であろう ここでも笑顔などない。

宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」の銀河の祭り、ケンタウル祭 銀河を行く軽便鉄道列車は ゆーくり、ゆーくりと走ってるように思うが宇宙を走るのだから 早いとおもう大宇宙のお話なので、ゆうだい である。宮沢賢治さんが今の世をみて、なんとおもう、のかな~と想像したら笑顔になった。

こんなことを想像しているうちに夕方になった。

2010/01/13

ハイチ地震に三陸大津波を思い出す

カリブ海のハイチで12日午後4時53分(日本時間13日午前6時53分)(M)7.0の巨大地震が発生した。多数の犠牲者がでている模様です。大変なことになりました。

三陸大津波を思い出しました。

三陸大津波を昭和40年秋、吉村 昭著「一人旅」でその岩手県下閉伊郡田野畑村に逗留して取材された記事を読み巨大地震の恐ろしさを感じた。

・・・・リアス式海岸の三陸海岸が、日本で最も多くの津波が来襲する地だという知識は持っていたが、それらの堤防を眼にして津波の規模が想像を越えた大きさであることを感じた。・・・・津波から逃れるため高台に駆け登っている時、ふと振り返ると、二階建ての屋根の上に白い波しぶきを上げた津波が見えたという話。・・・・

著者は三陸海岸を一カ月有余をかけて取材し「三陸海岸大津波」として文春文庫におさめられた。

岩手県下閉伊郡田野畑村(現在は町)の字である田老、乙部の被害が最大であった。両字の全戸数は三三六戸であったが、高さ一四・六メートルの津波で一戸残らず流失し、両人口一八九五名中生き残ったのはわずかに三十六名のみであった。さらに昭和八年の津波でも、人家四二八戸が流失、死者は九一一名に達している。・・・・・・・この踏査の旅で、明治29年の津波の体験者2名にあって回想を聴くことができた。・・・・・・

私は、村長の案内で山道をのぼって氏の家におもむいた。眼下に海がひろがっている。・・・・津波が来襲したとき、轟音とともに海水が入口の戸を破って畳の上に流れ込んできたという。
その言葉に村長は驚きの声をあげ、小庭に出ると海を見下ろし、
「驚きましたな。海面から五十メートルはある」と、呆気にとられて言った。

GoogleEarthで岩手県下閉伊郡田野畑と入力をして断崖絶壁の写真をみました。津波があの絶壁の頂上まで襲ったと思うと不気味でもあると感じました。天災は恐ろしいですね。

災害は忘れたころにやってくる。

2010/01/10

デイ・アフター・トゥモローは現実にくるか?とGoogle Earth

デイ・アフター・トゥモロー - goo 映画

二酸化炭素の大量排出に伴う地球温暖化が深刻化する中、古代気候学者のジャック・ホールは、自らの研究結果をもとに大規模な気候変動を予測し、学会で注意を呼びかける。それから数ヵ月後、世界各地が前例のない異常気象に見舞われる。巨大ハリケーンがLAを襲い、大津波がマンハッタンを呑み込む。ジャックの仮説が予想外の早さで現実となったのだ。ジャックは人々を南に避難させるよう合衆国副大統領に進言するが、政府は事態の深刻さを理解しない。やがて気温が急激に下降し始め、北半球は氷河期に突入してゆく…。

インターネット検索をすると世界の学者も現実として起こりつつあると論説をしている。温暖化対策が進めば現実として起こりうるとされている。また太陽の黒点の数についても宇宙天気情報センターから発表されている。

デイ・アフター・トゥモローの映画は現実に起こりうるのではないかと思うようになってきた。私ばかりでないと思うのだが。後世の子供たちに安定した四季を過ごしてもらいたいと思うこのごろである。

Google Earthダウンロードして見ると世界のどこでも映像で見ることができるので驚いた。私の住所を入れ検索すれば映像でたちどころに見ることができる。標高まで表示されていた。私の家から見えるあの山はいったい何という山だろうと景色をチェックすることもできた。地球の変化も観察できる。すべて公開されている。恐ろしいともかんじた。これを活用されておられる方も多いのであろうが私には初めてであったので驚きは大きかった。

デイ・アフター・トゥモローをDVDで良く観察して見てみようと思った。

« 2009年12月 | トップページ | 2010年2月 »

幼少の記憶

  • Michio_2

少年時代の記憶

  • Photo_2

次世代の人へ

  • Photo_2

風景写真アルバム

  • Tirusakura
    散歩中の風景写真

こんにちわ

  • Bn_pink3_b

最近のトラックバック

無料ブログはココログ