« デイ・アフター・トゥモローは現実にくるか?とGoogle Earth | トップページ | 老人の笑顔 »

2010/01/13

ハイチ地震に三陸大津波を思い出す

カリブ海のハイチで12日午後4時53分(日本時間13日午前6時53分)(M)7.0の巨大地震が発生した。多数の犠牲者がでている模様です。大変なことになりました。

三陸大津波を思い出しました。

三陸大津波を昭和40年秋、吉村 昭著「一人旅」でその岩手県下閉伊郡田野畑村に逗留して取材された記事を読み巨大地震の恐ろしさを感じた。

・・・・リアス式海岸の三陸海岸が、日本で最も多くの津波が来襲する地だという知識は持っていたが、それらの堤防を眼にして津波の規模が想像を越えた大きさであることを感じた。・・・・津波から逃れるため高台に駆け登っている時、ふと振り返ると、二階建ての屋根の上に白い波しぶきを上げた津波が見えたという話。・・・・

著者は三陸海岸を一カ月有余をかけて取材し「三陸海岸大津波」として文春文庫におさめられた。

岩手県下閉伊郡田野畑村(現在は町)の字である田老、乙部の被害が最大であった。両字の全戸数は三三六戸であったが、高さ一四・六メートルの津波で一戸残らず流失し、両人口一八九五名中生き残ったのはわずかに三十六名のみであった。さらに昭和八年の津波でも、人家四二八戸が流失、死者は九一一名に達している。・・・・・・・この踏査の旅で、明治29年の津波の体験者2名にあって回想を聴くことができた。・・・・・・

私は、村長の案内で山道をのぼって氏の家におもむいた。眼下に海がひろがっている。・・・・津波が来襲したとき、轟音とともに海水が入口の戸を破って畳の上に流れ込んできたという。
その言葉に村長は驚きの声をあげ、小庭に出ると海を見下ろし、
「驚きましたな。海面から五十メートルはある」と、呆気にとられて言った。

GoogleEarthで岩手県下閉伊郡田野畑と入力をして断崖絶壁の写真をみました。津波があの絶壁の頂上まで襲ったと思うと不気味でもあると感じました。天災は恐ろしいですね。

災害は忘れたころにやってくる。

« デイ・アフター・トゥモローは現実にくるか?とGoogle Earth | トップページ | 老人の笑顔 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

 先日夜のNHKでやってましたね。1700年にアメリカ西海岸のシアトル沖で、巨大地震があり陸地に津波が押し寄せ、その堆積した海砂が地層として残り、そこから地震の年を推定しているんですね。当時はアメリカ独立のかなり前で、記録は残ってないんですね。原住民の語り伝えが、わずかにその模様を伝えているんです。
 そんな大津波なら当然、日本の三陸にも来ているはずだとのもとに調査をするんですね。そしたら岩手県宮古市の旧家の日誌にあったんですね。地震もないのに大津波が来たという記録が。その月日から逆にシアトル大地震の起きた日が出てくるんですね。

 現代のシアトルはイチローが活躍し、高層ビルが林立してますが、地震に対しては極めて危ない状態だとか。

watari41さんコメントありがとうございました。

建築物は地震に対して本当に弱いのですね。日本も高層ビル・マンションが続々建設されていますが 耐震構造だから大丈夫と言われていますが本当にそうでしょうか 耐震ゴムの劣化は大丈夫なのでしょうか、
三陸大津波の歴史が旧家の日誌からシアトルの地震の日がわかったとは!
自然災害は怖いですね

 田野畑村には何度か取材に行ったことがあります。景観がすばらしく、とてもいいところです。一瞬にして自然が牙をむくんですね。自然のエネルギーはまったくすさまじい。

watari41さんの話しはとても面白いですね。

地層から地震の起こった時代を調べて、さらに岩手県宮古市の旧家の日誌の大津波で、シアトル大地震の時期を確定できるなんてね。

schmidt さんコメントありがとうございました。
取材で良くご存じの場所なんですね 私は一度はこの絶景を見たいとますます思ってしまいましたよ

ようこさん watari41さんのコメントを読んで私も不思議をかんじました。ありがとうございました

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« デイ・アフター・トゥモローは現実にくるか?とGoogle Earth | トップページ | 老人の笑顔 »

幼少の記憶

  • Michio_2

少年時代の記憶

  • Photo_2

次世代の人へ

  • Photo_2

風景写真アルバム

  • Tirusakura
    散歩中の風景写真

こんにちわ

  • Bn_pink3_b

最近のトラックバック

無料ブログはココログ