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2010年5月

2010/05/29

ブログのネタがなくなった

私のブログは散歩で見たこと・感じたこと・季節の移り変わりの風景・行き交う人達のことなどを04年3月からブログ心を公開し記事を書き始め、今年ではや6年になった。始めたころはブログの珍しさもあってかネタはいっぱいあった。6年の歳月は町内の雰囲気をも大きく変えた。まず売り家が目立つ比例して小学生が少なくなって小学校が無くなるとの、うわさも出てきている。一方福祉大学が大きくなりJR福祉大学前駅ができたので昼人口は増え賑やかとなる。また脳梗塞を患いリハビリの中高年の散歩の多いのに驚く 懸命に生きる姿に頭が下がる。記事には適当ではない、暗い記事になるのだ。

季節のことなどは6年も書き続けるといつか書いた記事と同じくなってしまうので面白くないと思う。故郷のこともよく記事にしたが友が逝ってしまって故郷訪問の気もなく「故郷は遠くにありて思うもの」になってしまった。

ならば現役のころの記事と思ったが書く気はしない高度成長時期が現代の競争時代を招き人心が荒んでしまったからであろう。

戦争を知っている人は80歳前後の人だけになった。戦時中のことを書く気がしない。戦争の惨さが忘れ去り、人はまたキナ臭い世相になってきた。

散歩だけではなくカルチャーでも行こうかとおもうが調べてみると高齢男性の参加がない女性ばかりが多い

iPadでも購入して挑戦してみれば新しい記事ネタがみつかるかも知れないとも思ったりと試行錯誤ばかりしている。

秋のような冷たい日が続くので季節感が湧いてこない。大崎八幡神社の境内で植木市が行われた日に妻と散歩で行ってみたが今年の鉢植えの花は元気がない色もあせて見えた。気候のせいだろうか 私の気のせいかもしれないが。

Uekiiti

老夫妻がゆっくりと散歩できる日々が幸せに思った。

自宅に帰ってから藤沢周平著 海坂藩大全下巻を読む。文豪の記事は自分の脳内に画像ができるほど感銘深い文章がつらなる。

支離滅裂な記事になってしまった。が公開しよう

2010/05/27

高齢ストレスとIT

歩きながら考えた。高齢になるほどストレスは大きくなる。死が確実に迫ってきていることに対するストレスである。
友達からの訃報が多くなるから自分もいつ逝ってもおかしくないと知るからである。生きがいの一つにインターネットアクセスがある。

インターネットはますます発展し生活には無くてはならないものになった。
しかし高齢になるとインターネットアクセスは確実にストレスとなる。原因は老眼、や震せんである。

60代まではまだ感じないが早かれ遅かれ必ずやってくる。震せんになれば現状のマウスは思った通りの操作ができなくなる。その上に老化による視力減退、老人性白内障や薬の副作用による「霞む眼」が追い打ちをかけてくる。「なぜ操作ができないのかとイライラしてくる」そしてデジタルディバイドにおちいってしまうだろう。かろやかに操作してきた者ほど精神的な落ち込みは大きいとおもう。

IT経験の高齢者人口は増大する一方である。
感覚運動障害になってもインターネットアクセスができる技術開発と支援体制が必要であるとおもう。それは高齢者の生きがいにつながるのではないだろうか。

学生たちとすれ違った。おしゃべりしながら片手に携帯をもち指が魔法のように携帯を操っている。メール入力をしているようだ。

昔、算盤の名手が膝の上で暗算している姿のようにもみえた。

彼らもすぐ歳をとる。そのときの精神的落差は大きいだろうと心配になった。 高齢になってもインターネットアクセスが実現できる技術開発と支援体制ができれば、活力ある老年になるのではないのだろうか。

ニュースではアップルがマイクロソフトを追い抜いたと報じていた。アップルの多機能アイホーン等が世界的にヒットしているという。電子書籍の発展も大きくなるだろう。反して老人のストレスはますます大きくなる。

午前は霧雨のなかを午後は日差しを受け急変する気候の中を散歩しながら思った。

2010/05/14

端午の節句ー子供の遊ぶ姿がない現代

住居を建て30年になるがここの町内で子供の遊ぶ姿を見たことがない。
5月5日は古来から端午の節句として、男子の健やかな成長を願う行事が行われていた。

散歩してみたが鯉のぼりが泳いでいた家が一軒のみであった。なにかホッとした。

1948年公布・施行 国民の祝日に関する法律(祝日法)では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としている。母に感謝すると言うことは大変重要なことだと思う。

子供のころを思い出し空を仰いだ。私は近所の子供と毎日毎日遊んでいた。学校が終われば遊びの世界なのである。町内ごとに自然に4~5人の集団ができる。

だれが決めるわけではないがガキ大将ができる。その指示で道草をしながら帰るのが常である。春はやはり道草の種類が多い。
学校の周りは畑と松林に囲まれ校庭の裏は日本海であった。遠くに町の家並みが見える
木造の一軒家で町並みは構成されていた。大学病院の教授や会社の重役さんの家は大邸宅であったことをよく覚えている。その家の子供たちは大学付属小学校に通学していた。男子は紺色のベレー帽と制服を着て女子は紺色のセーラー服とベレー帽であった。彼らの学校は南方向で街の中心にある。私たちのような青鼻をたらし袖先で鼻を拭うので袖先がピカピカと板状になっている子も多くいる。このような小僧達が通う尋常小学校は北の郊外にあった。方向が南と北だから登校するとき町内の道ですれ違うのである。

別な人種のように思っていたので話しかけるでもなくすれ違っていた。我らはギャーギャーいいながら歩く 彼らはつんと澄まし顔でいたことが懐かしく思い出される。

菜の花が満開になると黄色の絨毯を敷いたように青い空に映えて美しい。その畑に入って「かくれんぼ」をして良く遊んだ。しかし今思えばぞっとする。それは肥しが人糞である各家は汲み取り式の便所であるので、お尻を拭く紙も新聞紙等であるから畑の畝は干からびパリパリななった、紙でいっぱいである。そこに這いつくばって隠れる。畑には人糞を入れる溜め桶が地面と水平に設置されているので甚だ危険でもあったがそんなことは無頓着で遊んだ。現代では考えられぬ不衛生なことであった。そのころは花粉症など皆無であったとおもう。なにか免疫ができているのかもしれない。

なんときがたってガキ大将が帰ろうと言う掛け声と同時に皆いっせいに自分の町内に目指して駆ける。私の町内はガキ大将とは違う町内なのである。私も一目散で家を目指して駆け帰るやいなや、ランドセルを「只今」といいながら玄関に放り投げて遊びに出る。町内では私がガキ大将であった。

裏の砂山に町内の子供らが集まる。ニセアカシヤの「刀の形」をしている枝を小刀で切り落とし皮を剥くと、薄緑のきれいな肌からかすかな青臭い匂いが鼻をつく。その刀を腰縄に差すと同時に心は侍になった気分になる。チャンバラごっこが始まる。(ただし大学付属小学校の子どたちは来ないのである。何をして遊んでいるのだろうと思っていた誘いもしなかった。)
拍子木の音が聞こえてくる紙芝居が来たのだ侍たちは一斉に刀を捨て走り出す。たしか演目は鞍馬天狗ではなかったろうか定かでないが、きな粉をまぶした飴を買いしゃぶりしゃぶり観劇するのである。紙芝居が終わるとチャンバラ再開である。

赤い夕陽が頬を染めるまで遊ぶ、姉がもう帰りなさいと呼びに来る。子供たちの母親や兄弟たちが「帰ってこいご飯だよ」と・・・その呼び声は忘れえぬ音となって脳に記憶している。夢のような情景である。一日の終わるのが長かった。

日曜日は戦争ごっこがほとんどの遊びを占めていた。昼食の弁当を母から作って貰って朝食が終わると飛び出した。私が大将だから部下の家に行くのである。その家のおばあさんもお母さんも本当にやさしい笑顔で迎えてくれるのである。女の子には看護婦の役目を与えていた。やさしい笑顔を持つ看護婦さんが3人ほど居た。

傷を負ったことを仮定して包帯を巻いてもらうのである。わたくしはいつも最初に怪我をする。部下は何時も大将が先に怪我をするのはおかしいという。大将は先頭に立つからと言い訳をしたそうである。このことはあの世に逝った竹馬の友からおおきくなってから逢うたびに聞いていた。そして大笑いして昔をしのんだ。今はみんな老いた。故郷にいるものも少なくなった。人生の流れを感ずる。

我に返り鯉のぼりをみた。今年の5月も終わりに近くなった。

14日の河北新報夕刊の河北抄の記事におととし101歳でなくなった「ノンちゃん雲に乗る」の著者石井桃子さんの言葉が紹介されていた。

<子供たちよ/子ども時代にしっかりと楽しんでください/おとなになってから/老人になってから/あなたを支えてくれるのは/子ども時代の「あなた」です>

故郷の夕日

2010/05/07

ラジオ深夜便

早苗を植える月になってしまった。五月に入って気候はようやく月並みになったがはたして立春から数えて八十八日目。「八十八夜の別れ霜」の例えどおりになってくれるのだろうか このごろの天候の変動は全く春らしくない夏が急に来たような天気と思ったら3月下旬の天気になる。桜の花はたちまち桜吹雪となってしまった。でも今年も桜吹雪を見ながら歩くことができて幸せと思った。そして連休もたちまち過ぎ去った。

ラジオ深夜便を録音し昼の散歩で聴いている。ラジオ深夜便のイメージは眠れぬ高齢者のためとおもっていた。しかし最近の社会情勢を反映してか若い人たちのフアンも多くなっていると報じられていた。4月と5月のトークテーマは「私が大切にしている命と絆」である。
5月4日は

{ミッドナイトトーク〕
わたしが大切にしている命と絆(きずな)(2)
作家 山本一力

を聞いて感銘を受けた。
リクエスト曲が映画ディアハンターのテーマ曲「カヴァテーナ」でなかったかと思う。この映画は戦争がいかに悲惨であることを教えてくれている。「カヴァテーナ」の曲は良く似合う

親子の絆は当たり前であるが今の世はこの絆が切れてしまっているようで悲しい、桜の花弁の美しい桃色のじゅうたんをふみふみ沈んだ心を抱き歩いていた。

人間の一生は生きているだけで苦しみに耐えている。そして一生は流水のごとく去る。命と絆は大切にしなければならないと強く感じた。 

Fukusisakura6

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