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2010/05/14

端午の節句ー子供の遊ぶ姿がない現代

住居を建て30年になるがここの町内で子供の遊ぶ姿を見たことがない。
5月5日は古来から端午の節句として、男子の健やかな成長を願う行事が行われていた。

散歩してみたが鯉のぼりが泳いでいた家が一軒のみであった。なにかホッとした。

1948年公布・施行 国民の祝日に関する法律(祝日法)では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としている。母に感謝すると言うことは大変重要なことだと思う。

子供のころを思い出し空を仰いだ。私は近所の子供と毎日毎日遊んでいた。学校が終われば遊びの世界なのである。町内ごとに自然に4~5人の集団ができる。

だれが決めるわけではないがガキ大将ができる。その指示で道草をしながら帰るのが常である。春はやはり道草の種類が多い。
学校の周りは畑と松林に囲まれ校庭の裏は日本海であった。遠くに町の家並みが見える
木造の一軒家で町並みは構成されていた。大学病院の教授や会社の重役さんの家は大邸宅であったことをよく覚えている。その家の子供たちは大学付属小学校に通学していた。男子は紺色のベレー帽と制服を着て女子は紺色のセーラー服とベレー帽であった。彼らの学校は南方向で街の中心にある。私たちのような青鼻をたらし袖先で鼻を拭うので袖先がピカピカと板状になっている子も多くいる。このような小僧達が通う尋常小学校は北の郊外にあった。方向が南と北だから登校するとき町内の道ですれ違うのである。

別な人種のように思っていたので話しかけるでもなくすれ違っていた。我らはギャーギャーいいながら歩く 彼らはつんと澄まし顔でいたことが懐かしく思い出される。

菜の花が満開になると黄色の絨毯を敷いたように青い空に映えて美しい。その畑に入って「かくれんぼ」をして良く遊んだ。しかし今思えばぞっとする。それは肥しが人糞である各家は汲み取り式の便所であるので、お尻を拭く紙も新聞紙等であるから畑の畝は干からびパリパリななった、紙でいっぱいである。そこに這いつくばって隠れる。畑には人糞を入れる溜め桶が地面と水平に設置されているので甚だ危険でもあったがそんなことは無頓着で遊んだ。現代では考えられぬ不衛生なことであった。そのころは花粉症など皆無であったとおもう。なにか免疫ができているのかもしれない。

なんときがたってガキ大将が帰ろうと言う掛け声と同時に皆いっせいに自分の町内に目指して駆ける。私の町内はガキ大将とは違う町内なのである。私も一目散で家を目指して駆け帰るやいなや、ランドセルを「只今」といいながら玄関に放り投げて遊びに出る。町内では私がガキ大将であった。

裏の砂山に町内の子供らが集まる。ニセアカシヤの「刀の形」をしている枝を小刀で切り落とし皮を剥くと、薄緑のきれいな肌からかすかな青臭い匂いが鼻をつく。その刀を腰縄に差すと同時に心は侍になった気分になる。チャンバラごっこが始まる。(ただし大学付属小学校の子どたちは来ないのである。何をして遊んでいるのだろうと思っていた誘いもしなかった。)
拍子木の音が聞こえてくる紙芝居が来たのだ侍たちは一斉に刀を捨て走り出す。たしか演目は鞍馬天狗ではなかったろうか定かでないが、きな粉をまぶした飴を買いしゃぶりしゃぶり観劇するのである。紙芝居が終わるとチャンバラ再開である。

赤い夕陽が頬を染めるまで遊ぶ、姉がもう帰りなさいと呼びに来る。子供たちの母親や兄弟たちが「帰ってこいご飯だよ」と・・・その呼び声は忘れえぬ音となって脳に記憶している。夢のような情景である。一日の終わるのが長かった。

日曜日は戦争ごっこがほとんどの遊びを占めていた。昼食の弁当を母から作って貰って朝食が終わると飛び出した。私が大将だから部下の家に行くのである。その家のおばあさんもお母さんも本当にやさしい笑顔で迎えてくれるのである。女の子には看護婦の役目を与えていた。やさしい笑顔を持つ看護婦さんが3人ほど居た。

傷を負ったことを仮定して包帯を巻いてもらうのである。わたくしはいつも最初に怪我をする。部下は何時も大将が先に怪我をするのはおかしいという。大将は先頭に立つからと言い訳をしたそうである。このことはあの世に逝った竹馬の友からおおきくなってから逢うたびに聞いていた。そして大笑いして昔をしのんだ。今はみんな老いた。故郷にいるものも少なくなった。人生の流れを感ずる。

我に返り鯉のぼりをみた。今年の5月も終わりに近くなった。

14日の河北新報夕刊の河北抄の記事におととし101歳でなくなった「ノンちゃん雲に乗る」の著者石井桃子さんの言葉が紹介されていた。

<子供たちよ/子ども時代にしっかりと楽しんでください/おとなになってから/老人になってから/あなたを支えてくれるのは/子ども時代の「あなた」です>

故郷の夕日

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心と体」カテゴリの記事

コメント

 昭和26年生まれのわたしが子どものころは、クオリアさんとほとんど同じでした。

 言うのもはばかられるのですが、「地面と水平に設置されている」ものに落ちたことさえあります。
 家の中にいても狭いし、やることないし、病気のとき以外は外にいましたね。空き地や広場を軸に、数人単位でいつも動いていました。

 広瀬川の近くに住んでいたので、堤防から向こうは天国のようでした。広瀬川の下流域は、砂利採取跡が深くえぐれていて事故もありました。小学校では川遊びは禁じられていたので、上級生になると川に入ることは滅多にありませんでしたが、夕暮れまで河原で遊んだものです。懐かしいですね。

schmidt さんコメントありがとうございました。
そうですか>「地面と水平に設置されている」ものに落ちたことさえあります<

後の処置が大変でしたよねtyphoon 今の子供の屋外での遊びはなくなりました。これも進化というのでしょうか 

>このことはあの世に逝った竹馬の友からおおきくなってから逢うたびに聞いていた。そして大笑いして昔をしのんだ。

心が温かくなるようなお話ですね。

人糞の肥やしの臭い、まだ忘れていません。
そんな中で育ったので、まだ、私は花粉アレルギーになっていないのでしょうか。

我が家の団地でも、鯉のぼりを揚げる家がぐっと少なくなりました。
でも、子供たちは、外で遊んでいます。
すれ違うと挨拶をしてくれる子供もまだいるんですよ。

後、10年するとクオリアさんの団地と同じ状況になるかも・・・・。

ようこさんコメントありがとうございました。

>そんな中で育ったので、まだ、私は花粉アレルギーになっていないのでしょうか。<

どうもそのようですね 同級生も花粉症になっている方はいませんね

すべて無菌の中では抵抗力がつかないのですね

          ガキ大将がおりました。彼は私より1歳上でした。近所の5~6軒が単位
       でした。5歳くらい下になるとそれはもう、あぶらっ子と呼んで保護する扱いになるん
      ですね。当時のガキ大将は、実家の仏事になると帰ってきて、我々と昔話になります。
          こいのぼりは少なくなりました。子供は激減しているようです。
             それでも公園に行くと少しは集まっております。

watari41さんコメントありがとうございました。
ガキ大将がいつの時代にもいましたが現代はTVやゲームの影響のせいか過激ですね。
心あるガキ大将が昔はありましたね。近所のおじさんに拳骨食らったことがありましたが母は教育してもらったお礼をいったそうです。

クオリアさん
私達は野原や空き地で近所の仲間とよ~く遊びましたよねぇ~!
現代の子供達は学びも遊びも管理されすぎて自分達の発想で遊ぶことを知らないのでは?
と危機感を感じています。

こいのぼりを庭に出す家も少なくなりましたが先日散歩していましたら高森公園の沼を
横切ったロープに沢山のコイが風に泳いでいました。
最近は河の両岸にロープを渡してたくさん泳がせているところが多くなったようですネ。

michikoさん コメントありがとうございました。

>現代の子供達は学びも遊びも管理されすぎて自分達の発想で遊ぶことを知らないのでは?
と危機感を感じています。

そうですね 川両岸に縄を張り鯉のぼり行事をやって客集めをしていますね。

昔は男子の子にお前も大きく泳げよ と祝うのですが今の子は親が口出ししすぎて異常な状態になっていますね。

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