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2011年8月

2011/08/21

朝食に思いつく 遺書は早めに(Evernotとリンク)

下記下線の文章をクリックしてくださいね(EVERNOTにリンクにとびます)
朝の朝食は自分で作ります。退職してから私は朝食を早朝5時過ぎに自前で作ります。5時過ぎには食べたくなりますので、なお妻は年を重ねるごとに朝寝坊が多くなりました。そっと起こさないようにして起床します。隣室から妻のかすかな婦寝息がスースウと聞こえてきます。

写真を掲載のSoftoBankから iPhon・iPad2購入したときの景品である「お父さんグラス」です。愛用のグラス・コップになりました。写真はiPad2で撮影しました。
ITはクラウド(雲)とWiFi無線の時代となりGoogle画面から電話を格安でかけられてしまう時代になりました。
災害時IPhonからのインターネット電話が通じてよかったと言っていた人がいましたが、災害時は使わないようにしなければとは思いますが携帯電話がつうじなくなれば使うしかないと思います。~ITの進歩は驚嘆するばかりです。TVにLANケーブル(WIFiも使えるようになるのかも)を接続すれば万単位のプログラムをみられるとか、
ただし光TVの契約しなければ使いませんが
前置きはこの辺で本番に入ります。slate

朝4時5分起床 目が覚めてしまったのでこのようなときには起床してしまのだ。もう仕事などないから人生の終楽章を語るノートブックをエバーノートに記述することにした。寿命年齢過ぎたからいつ逝ってもよい体になったので気楽に逝こうと思っている。
吉村 昭著:死顔を読み私は深く感銘を受けた。私の心と同期したと感銘する.
と勝手に思い込んでいると言うか、そのように決め込んでいる。
いつパタリと心肺停止になるかわからないので遺言だけは書いておかねばといつも思いながら構想は頭脳の中にしまってあるのだ。それでは妻はわからないだろうでも結婚56年もたてばお互いに解っていると思う俗に結う阿吽の呼吸という言葉が当てはまるかもしれない。定年後は妻に宣言した「上膳下膳」加えて朝食は私が勝手に作る。隣室でスースー聞こえる流れを止めてはいけないと配慮するので足音をしのばせて洗面をしてから「私専用」の小型冷蔵庫と小型「レンジ」が活躍してくれるのである。お湯も徳利の形でとっての付いたコップ一杯分の水で満杯をレンジに要れ一分少しでお湯になる。なつかしいパン焼き器に食パン6枚きりのうち2枚をつまみパンを焼く。無糖のヨーグルト白い大きいカップに入れる。次に納豆・バナナを刻み・モズク・蜂蜜をいれて終わり。
食パンが焼ければちゃんと飛び出してくれるパンのの焼けた香りが充満する。コーヒーカップにレンジから熱くなった程よいお湯徳利を取り出してコーヒーは出来上がる。
栄養満点と自分では思っている。満足ゆっくりと食するiPhonにはTVが移るのでニュースを見る。
美味しいと思う朝の一番の行動である。私の至福の場所であるパソコンデスクで食することもある。東面の小窓から赤い夏の太陽が照らし始める。生きている!と感じる瞬間

2011/08/17

真夏夜の音の風景


0118月13日~ 流星群が見える夜であるが月の輝きで流星は見えなかった
芋沢峠の仙山線芋沢踏み切りの近くで撮影した。踏み切りを通過する電車音・虫の鳴き声が聞こえてくる。お盆の音の風景である。
人災事故原発の早期の収束と地震・津波で犠牲になられた方々へ鎮魂の音とおもう

2011/08/14

流星のころ

 ペルセウス座流星群が8月12日の夜が多くの流星が見られるといわれているが13日の18時ころカメラをもって外に出た満月の光が明るくて流星ショーが見られなかった。
、ペルセウス座流星群を少年時代の残像が鮮やかに脳内に存在する。戦時中なので灯火は厳しく取り締まれていた家の外に光をもらしてはならない時代であるから夜は満天の星空が見えた。011313

現代ではついに電力需要に対応するためと、原子力発電所が多く誕生し発光都市となってしまった。満天の星空など見たことがない都市の人は多いのではなかろうか。
起こるべくして起こった想定内の人災原発事故で節電を余儀なくされたので、発光都市の輝きも衰えたがまだ明るい夜である。街灯は明るく道路を照らしている。
NIKON一眼レフを構えて夜空を見上げたが満月の輝きが独占していた。流星は見られなかった。

流星は宇宙の小さな塵が高速で地球の大気に衝突するときに生まれると言われている。八月十二日ころから流れ星が沢山見られるのも夏の風物詩であろう。ペルセウス座は夜になると北東の地平線から昇ってくる。小さな公園が近くにあるのでペルセウス座の方向を見上げたが月の輝きが強く流星は見られなっかった。
流れ星が消えぬまに「願いごと」をするとかなえられるとの言い伝いを信じて待つこと一時間、あきらめて月の写真を撮影した。そして天に向かって鎮魂の祈りをささげた。
後三ヶ月で私は八十一歳を迎え妻は2ヶ月過ぎると七十八歳となる。戦中戦後と生きてきたが巨大地震にみわわれ最悪の放射性物質が福島第一原発大爆発から放出されてしまった。「石原慎太郎氏の言葉」我欲と天罰がみにしみる。

また太陽も磁気嵐が大きくなると言われている。
1億5000万キロかなたの太陽で生まれた嵐で、以前テレビの画像が乱れたりしたことを覚えている。
宇宙よ静かでいてほしいと思うこのごろである。

 


2011/08/06

仙台七夕は復興の雄叫び

今日七夕の街を歩いて思う、多くの人々の雰囲気が今年は違う。復興の雄叫びが聞こえてくる。
Photo
日本・東北が大変になっているけど絶対素晴らしい国になりますよ なおみ とあった若い女の子であろう。復興の雄叫びを聞いたように思った。
私事の短冊は少なく復興の誓いが多い これを大きく阻害する人工放射能拡散の収束を私は叫んだ!!!

2011/08/01

想定外の言葉は地獄ことば

・・・・・東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙なぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治二十九年六月十五日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津浪」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰返されたのである。
 同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。
 こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。
 学者の立場からは通例次のように云われるらしい。「この地方に数年あるいは数十年ごとに津浪の起るのは既定の事実である。それだのにこれに備うる事もせず、また強い地震の後には津浪の来る恐れがあるというくらいの見やすい道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万なことである。・・・・

以上の記事は多くの方々が読まれた。寺田寅彦著津波と人間(明治11年(1878)誕生、昭和10年(1935)没。享年58歳)の書き出しの文である。
今年3月11日の巨大地震が襲来した。上記の文の「冒頭昭和八年三月三日の早朝に、東北日本・・・と続く
大津波は繰り返し襲来していたのである。吉村昭著「ひとり旅」にも高さ50メートル三陸大津波の記事が詳細に書かれている。
絶対安全原発の原子炉メルトダウンと言う恐ろしい事故を惹起した。原因は想定外と言う?決して想定外ではない津波であった。なぜ史実を詳細に調べなかったのか?
原子炉損壊による特有のセシュウムが広大な範囲に拡がっている故郷を捨て避難をする方々の報道は涙なくしては見られない。ただただ祈るしかない。

はやいもので巨大地震から四ヶ月もすぎた。
人災原発事故がなければ希望の復興期に入っていたのに非常に恐ろしいことになった。

報道によれば仙台平野にも襲来していたことがボーリング調査で確認された。
あきらかに設計基準が低い事があきらかになった。

汚染牛肉が販売されてしまった。
[どうするのですか絶対安全と言っていた関係者もその汚染牛肉を食べたかもしれませんよ。内部被爆が確実に福島原発を中心に拡がって居る。
更に事故処理技術もないので勉強しながらの対策だという。とんでもない事になった。

私は購入したガイガーカウンター(放射線測定器)を持って外出する。数値は確実に事故前より高い。
自然災害に耐えない設計の原子炉は爆発し放射能を撒き散らしながら核暴走が続いている。

巨大地震であろうが大津波であろうが放射能という人間がまだ制御できない現代では「どんなことが起きても対応できるようにしておかねばならないのだ。使用済み燃料処理技術も完成していない状況であればなおのこと原子炉爆発核暴走を防ぐための対策を完全なものにしなければならない。

それにしても非常用発電機の設置場所が地上にあったことに驚いた。ジーゼル発電機の重油タンクも転倒ひっくり返るような驚きの配置である。
周辺機器がいざというとき機能しないように設計されていた。唖然とする!なにが想定外であろうか起こるべくして起こった未曾有の大災害である。

呼吸している空気も水も汚染している。現代に生きる人はすべて内部被爆を受けてしまった。原発からいまでも放射能を出し続けている。汚染スポットがどこに存在するのかわからないのである。非常事態になっているのに国は政治権力闘争に明け暮れしている。

募金しても被災者には配分ルートも無い。募金はたまる一方になる献金意欲が阻害されてしっまった。街道募金お願いしま~すの声がうつろに聞こえるこの頃になった。

大きな余震が続いて襲来している。またも水素爆発・水蒸気爆発等の起こす危険性もあるのではと危惧する。
情報が知らせられないから思いは悪い方ばかりゆくのが人間の心理である。

[想定外]などと嘘をいうからこのように人心不安定症状になる人が想定外に多いのだと思う
想定外の言葉は地獄のことばだと思う。
そしてすべての人に核の恐怖は日常的なことになりストレスを与え続け死の恐怖の時代となった。
原発の安全対策を怠ったばかりに核恐怖日本になった。

懸命に復旧活動をされている現場のみなさんの特に下請作業員のみなさんに心から感謝と健康を祈る日々である。

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