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2011年9月

2011/09/23

晩秋の朝焼けとお月様

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iPhonに地震発生ソフトをダウンロードして地震があればアラームするよう設定してある毎日どこかで地震が発生している。
巨大地震後には山の噴火があるといわれている。自然災害は防ぐことは出来ない。巨大台風が日本縦断して山津波が各地を襲っている。地球も宇宙も今年は自然災害の起きる周期にめぐり合わせているのかもしれない。

気温は10℃以上乱高下するので体調はそれに同期して乱高下している。せつないSany0021_021_sany0021_3

地震の発生する日の予測をみると地震雲も観測しているようである。
18日の朝5時ころの朝焼けとお月さんを仰ぎ見ることが出来た。お月さんも、太陽も宇宙全体の変化が人間にも影響していることはたしかである。
人の死は、干潮時に訪れるという 潮汐は”大気の潮汐””潮の潮汐”があるのだから人の運命にも関係しているようにも思える。

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9月18日朝5時の朝焼けとお月さんを撮影できた。晩秋の風景である。

また宇宙全体の現象が森羅万象に影響するようである。宇宙天気ニュースHPでは毎日観測データーを発表している巨大な磁気嵐がおこれば地球の電気機器に大きな影響を与えるので恐ろしい自然災害の一つである。


台風が去った翌日冷たい雨の中散歩した。名はしらないが、花の、つぼみに水玉がついて強風と寒さにて耐えて生きていた。
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2011/09/12

仲秋の名月

秋の半ばにあたる陰暦八月のお月さんを仲秋の名月とよんでいます。古風な漢語ですね。人はこの月を見て
いろいろな思い出に浸るのです。作家 井伏鱒二さんは仲秋の名月を「初恋を偲ぶ夜」 「よしの屋で一人酒を飲む」とこの月を愛でていたようです。
人達はみな「仲秋の月」をみて思いを馳せるのだと思います。
我が息子も早や五〇歳の道程をいきています。天体が好きで車で出張のときは望遠鏡を持ってゆくのです。Photo_2

私の故郷の新潟に出張した夜 仲秋の名月を望遠鏡にiPhonのカメラで撮影して私のiPhonに送信してくれました。
私はうれしかった。しばらくその月を見つめて思いをはせていました。翌日なにか同期したように少年時代の友から生き残り同級会をやるから出てこい!便りがとどきましたと場所は弥彦神社に近い岩室でやるからなと。
行ってきたいとおもいますが電車の旅と体調が同期しないので行けません。この月がお誘いだったのかもしれないのですが”故郷は遠きにありて思うもの”だとおもいます。
おそらく生き残りは少ないので八人位は集まるのかもしれません。みな病を抱え生きています。
方丈記「行く河の流れはたえずして、しかも、もとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたの、かつきえ、かつむすびて、ひさしくとどまることなし。・・・・」
人は大きな自然災害にみまわれながら悲しみに耐え生きているのですね。人々の悲しみに涙し祈る光景がおおい日々です。
良寛さんは歌っています「人の子の遊ぶを見れば二はたづみ流るる涙とどめかねつも」
中秋の名月は十五日です。もうすぐきます。夕方の雷鳴も「ゆく秋の声」。


2011/09/07

知恵子抄展の思い出

07年春に仙台市文学館において高村光太郎「智恵子抄」展が開催された。
仙台市営地下鉄駅の台ノ原駅に下車して文学館に向かう、赤松林の小道をとおり歩くこと約20分赤松林を抜けると近代的な瀟洒な建物のが浮かんで見えてる。この道は私は大好きである。そのころ「ボランテア」で文学館会員の、お手伝いをしていた。70代の生きがいを感ずる活動でもあった。
智恵子の故郷は福島県二本松である。会員の企画で智恵子の実家を訪問した。
蓄音器でベートーベンの交響楽をよく聴いていたとゆう。その蓄音機も展示されていた。光太郎が「智恵子抄」の「あどけない話」の詩よんだ小高い丘に行ってみた。
阿多多羅山が紺碧の空に雪を頂いた美しい光景は"智恵子は東京に空がないといふ、・・・"かたりと、おなじであった。
今は人災原発事故により見えない人工の放射能が浮遊しているとおもうと本当に悲しい。こんな姿になったのを智恵子はさぞ泣いて嘆いているだろう"人間のあさはかな核技術崩壊を!

2011/09/04

誤解の悲劇 

”ごん”はちょっとした、いたずらをしたくなり兵十が、はりきり網で捕獲した魚を魚籠のなからつかみだしてポイポイ川に投げ込んだ、うなぎはごんの首に巻きついた。
うなぎを、はずそうと格闘している、ところを兵十に見つけられて兵十は「ごんは、盗っと狐」と決めつけられてしっまった。
その,うなぎは 病気で伏せっている兵十の母に栄養をつけさせるものであった。母は亡くなってしまう。Photo

それを知っごんは、自分と同じ一人ぽっちになってしまった兵十を励ますために、栗やマツタケを家に届けていた。
兵十は栗やマツタケが土間に毎日置かれていたのはこれは、神の仕業だと思っていたのである。
ある日、ごんが土間に入ってくるのみた。また「盗人ぎつね」が悪戯をやりにきたな!
兵十は勘違いして盗人狐ねめと言って、銃で撃ってしまう。撃った後で栗が土間にあるのをみた!!
悲劇がおきた。
「ごんお前だったのか」の日本人の性格を現す言葉を発し!銃をとりおとす。

新美南吉の名作「ごん狐」は、「誤解の悲劇」です。いま小学校四年生」国語教科書にのっているそうです。

現代社会でも誤解のための悲劇が続いています。親友・恋人との別れが誤解に基づくことが多いのです。
しっかり見極めてから行動するのが大切だと傘寿を過ぎた私は、「ごん狐」を教本として何度も声を出して読んでいます。

ごん狐 第一章 第二章

ごん狐 第三章 第四章

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