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2012年3月

2012/03/04

忘れられぬ記憶

2011年3月11日 午後2時46分から後7日で一年をむかえる。何事もなく平々凡々の生活こそ幸せであることを思い知らされた。 

わたくしは生まれて81年3か月となるが”何事もなく平々凡々の生活こそ幸せであることを思い知らされた。と思ったのは2回目である。一回目は太平洋戦争である。爆撃を受けた都市は瓦礫の山となった。食糧不足で”さつま芋”の蔓を食べて生きそして避難した。町はひっそりと静まりかえり、人影がなくなった。遂に原子爆弾が広島・長崎に投下され放射線は地獄をつくりだした。1945年(昭和20年)8月15日終戦。犠牲者は軍人が230万人、一般住民が80万人死亡した。わたくしは何事もなく平々凡々の生活こそ幸せであることを思い知らされた。復興とは日々を時の流れにそって感謝して生きる状態にすることだと思った。

1945年(昭和20年)に生まれた人は67歳となり戦争をしらない人が多くなった現代である。

平和を謳歌していた現代に襲ってきたのが巨大地震・津波 東日本太平洋岸地域は瓦礫と化し”地獄は地上にあふれた。そのうえに追い打ちをかけてきたのは原発の核爆発 核の”ひばくしゃ”は数知れず。避難者は12万人以上と河北新報HPで報じられていた。地方紙の情報は何よりもPhoto_2市民は頼りにしているのである。何故なら市民と同じ視線で情報が開示されるからである。記者のみなさんは「いのちと
はなにか」を自問しながら涙し取材したことだろうとおもう それでも新聞を作り続けなければならない使命があるのだから、時間が過ぎ去るほどに苦しさが増すのではないだろうか心配している。

まるで戦争である。原発爆弾の核は瓦礫も汚染し復興の大きな足枷となり時がたつにつれこの災害・人災が魂に与える影響は大きい。科学技術の発展進歩するごとに自然破壊が増加し里山から若者が消えてゆき自然との共栄がなくなり過疎化は進んでいる。その里山にも核が襲ってきた。

日本の自殺者は毎年3万人以上、累計で40万人を超えている。一都市が消滅していると同じである。これは異常である。

屋上屋の国難を日本の国民は必ず復興を成功させる。それが古来から受け継がれた日本民族の魂があるからだ。

わたくしは現代が一番の国難の時期であると思っている。

2012/03/01

iPhon用ガイガーボットと散歩

小さい春がやってきた。気圧配置は冬と春の綱引きが始まった今日3月1日は暖かかった。枯れススキも綺麗にみえた。

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一本もらってベット脇の花瓶に飾ってみた。小さい春が近づいたように思ったが。 

しかし昨年の3月11日午後2時46分!!

 わが国が戦後最大の苦難を迎えることになった。自然は無慈悲で残酷な破壊を人間に襲いかっかった。その上、欠陥原子炉マークⅡ!の炉心溶融!放射能雲が襲いかかった。枯れススキも綺麗にみえる時期である。見えない恐怖。広範囲の汚染。失われた故郷。巨大津波に破壊された建物の瓦礫が汚染されその処理が数十年以上もかかるといわれている。とどまることを知らない被害の連鎖に季節を愛でる気がなくなってしまった。

散歩にiPhon用ガイガーボットと散歩するようになった。子供たちの遊ぶ公園のセシューム137を計って見るためである。

iPhonアプリにGeiger Botをダウンロードして福島の三和製作所が開発した。Sany0045

商品名{ガイガーFUKUSHIMA]を購入しiPhonと接続してポケット入れて歩くのである。

簡便に測定できるので良いが。このようにしなければならない異常な空気になってしまった。登下校する学童を見かけるにつけ健康を祈る日々である。放射能測定は寿命年齢を突破した私にできる仕事でもある。高度成長期に現役であった私は電力消費量が急激に増大していたころである。ついに原発に依存するようになった。そして、起こるべくして起こった核の暴走を防ぐ手立てもわからない。この国難を予測していた人々の声はとどかなかった。

仙台市青葉区で放射線量測定ブログを閲覧した。ありがたいことです。

こちらをクリック

公園でサッカーをして運動している子どもたち

Kouin

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