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2012/04/21

過去の住家 津波で消えた

定年後、堆の棲家を求めて海岸部の町を旅行した。15年前(1996年)のことである。
宮城県の海岸線は南北850kmと長い、気候もまた大きな差がある。
北部が三陸型気候、南部が関東型気候。
雪国越後の海岸部で育った私は堆の棲家は温暖な南部の海岸の町を探した。
赤痢菌発見者 志賀潔博士が晩年過ごした棲家が山元町磯浜であると伝え聞いた。

(1996年)4月の初旬に磯浜海水浴場にいってみた。あたたいかい風が頬を撫でてゆく、穏やかな波うちの風景は私の心を虜にしてしまった。防風林の松林が緑の絨毯のよう~
私は有頂天になって踊った。

震災前の美しい南部海岸線の風景 

(動画をYouTubに投稿していただいた「みなさん」使用させていただきます。感謝)

ここに5年間過ごした。体調を崩し仙台市の病院に入院三か月、退院後通院もあることから磯浜の住居を売り仙台市内に住居を移した。

2011年3月11日自宅の私の至福の場所である
パソコン・デスクに向かってブログ更新をしていた。
家内は買い物に出かけていた。14時42分激震に襲われた。ガスの元栓閉、風呂に水を満水にし、あらゆる入れ物に水を確保した。

私は大地震を新潟・秋田・八戸に住んでいるとき経験しているが今回の地震の巨大さに驚異!

山元町の情報が一切なく非常に心配していた。

その後、山元町坂元は巨大津波にのみこまれていたことを知り、ご近所の方々の安否が心配で夢にまで出てくるようになった。
012年4月17日(火)山元町まで電車とバスを乗り継ぎ行くことができた。
磯浜の荒涼たる光景に慄然とした。自然は怒り狂い磯浜のすべてを飲み込んでしまった。
私はたちつくし、しばらく呆然としていた。気が付いてから
犠牲になられた方々のご冥福を、ささげ、そして涙した。

素晴らしい盆栽を頂いた向かいの家は砂地と化かしていた。
ご主人の優しい面影が浮かんでくる。

元の住家はすっかりなくなっていた。シロアリ防止のコンクリート床とタイル張りの玄関床が残っていた。

Isohama2

巨大津波がおさまってからは虫が大発生したという。鳥が居なくなってしまっていたからだという。1年1か月過ぎた今はヒバリの声が無性に声高らかに響いていた。そのなかに潮騒の音が重なり目をつむれば、故郷越後の砂浜を彷彿として湧いていた。
それは
慈母のささやきのよう。

防風林の松林はすっかり流され、防波堤のテトラポットが目の前に積んであった。海岸線が30メートルくらい近くなっている。
伊達政宗公が磯崎山から太平洋の絶景を岩に腰かけて眺望していたという。私は朝な夕なに「磯崎山公園」に行っていた。その謂れの岩に腰を掛け雄大な太平洋を眺めていた。

しかし巨大津波はその山を崩壊していた。
Photo_2

”哲学者梅原猛さんが言われていた。日本の神道の本質は自然の恐ろしさから出発している。自然に捧げ物をすることにより恐ろしい自然を恵みの自然に変えていく、暴君のような恐ろしさを持ち一面慈母のような面がある。”

自然は人類のためにあるのではないと痛感した。

人災事故原発からの空間放射線は
0.1~0.41μシーベルトと役場のHPにのっていた。

”原発を使って人間の生活を豊かにし便利にする文明が裁かれていると哲学者梅原猛さんが言われていた。”

山元町仮庁舎前に放射線量測定車らしき車が止まっていた。

Photo14時頃から雷鳴が鳴り冷たい雨が降ってきた。


帰途は心が沈んだ。

私はまだ生かされている。


申し訳ない気がしてしょうがなかった。

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地震・津波と人災」カテゴリの記事

コメント

亘理・山元町の震災前の海岸風景は今となっては誠に貴重なものです。
よく撮影していたものです。
美しい海岸松林のなかに南北に細い筋のように見えるのが道路です。
私は何度も歩いたことがあります。
牛場や鳥の海周辺には、記憶に残る家が何軒もあります。
何もかにも無くなってしまいました。
津波に追いかけられるように逃げる車、間一髪で助かった方々も多くいる一方で
逃げ切れずにのみこまれた若い方がご近所にいたのです。
磯の海岸も無残なことです。
梅原さんの言葉が身に滲みます。

なんとも自然の暴君には人類の作ったものはすべて流されていました。

野焼きの後からまた新しい芽が生まれるように努力するのみですね。

震災前の海岸、本当に美しいですね。震災の津波の映像をみると、気持ちが悪くなってきます。

山本町坂本で被害にあわれたのは、私の学生時代の友達のご実家、また友人のご実家とお寺が被害にあい、身内の方を亡くされました。

山本町は別荘ではなく本宅だったのですか。
こってつくられた家だったそうで、期間は短くとも思い出多き家でしたね。

ようこさんコメントありがとうございました。

お友達の実家とその身内の方が亡くなられたのですか つらいですね

ご冥福をお祈りします。

お寺も流されました。墓石も倒れておりました。

お寺を浄財で復興するそうです。

そうでしたか。以前に住んでいたまちが犠牲になったんですね。震災がわれわれにどれだけの広がりと深さで被害を与えたか。真摯に向き合う必要があります。原発事故から目をそむけようとする政治や経済の動きが、恐ろしい。

schmidt さんコメントありがとうございました。

政・官・学 企業のために大変なことになりました。

国民不在です。企業のための政治の日本 戦争中と全く同じ 大本営発表は嘘ばかり
怒り心頭に発しています。

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