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2012/12/24

戦中戦後を生きた少年の記憶その三

1、日本敗戦

呉海軍工廠から帰って自宅に2~3日間過ごした頃だったと思う。アメリカの新型爆弾が落ちるから急遽疎開せよと町内から連絡があった。私は母から家で飼っていた鶏を連れて行くわけに行かないから始末しなければと言っていた。自宅には母と私だけであった。父は何時もいなかった。父の周辺には何時も女匂がただよっていた。その上に教養がない父が私は大嫌いであった。

母から鶏を始末するよう頼まれた。私は苦しんだ。始末しなければ鶏は餓死する。
幼い頃よく草むらで蛇と遭遇したとき殺してしまったことの情景が思い出された。しかし鶏には愛着があった。それに食糧不足の時代に鶏の卵は貴重な栄養源だったのである。
意を決して床の間に飾ってあった。日本刀の短刀で始末をすることにした。
庭にお墓を造り鶏の骨を埋め 祈りをささげた。

母と一緒に避難に指定された田舎の小学校に向かった。小学校の名前は記憶にはないが屋内運動場に沢山の避難者がいたことはぼんやりとだが覚えている。

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島市に新型爆弾が(これが原子爆弾だと後で知った)投下、また長崎市への原子爆弾が8月9日午前11時02分投下された。人類は核という「神」の分野に入り込んだのである。人類総破滅の始まりであるとおもった。

疎開先で昭和20年8月14日午後9時ラジオのニュースと15日午前7時21分のニュースで天皇自らの放送がある」「国民は一人残らず天皇の声(玉音)を拝するように」国民がもれなく放送を聞くようにとの知らせがあった。

1945年(昭和20年)8月15日正午(日本標準時)に、ラジオ放送を私は起立して聞いていたが雑音が多く良くわからなっかたが日本が無条件降伏をしたことなのだとわかった。目から涙が溢れ出た。負ける戦争であることがわかっていた。

2012年(平成24年)12月24日にYouTyubeで明瞭に昭和天皇、声(玉音)放送を聞けた。

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