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2012/12/30

戦中戦後を生きた少年の記憶その六

何時だったか記憶から消えたが化学科の上原君(?)から家に遊びに来ないかと誘われた。師範学校の近くに彼の大きな家があった。

私が生まれて初めて聴いた感動の時であった。それは大きな電気蓄音器があった。棚には沢山のレコードケースが整然と並んでいた。私は唯唖然としていた。

彼は言った。クラッシックは好きか?と私はクラシックなど解からないので大きく首を左右に振った。

俺の好きな曲かけてみるなと言って レコードにそっとアームの針を溝に乗せた。

ベートーベンの田園交響曲だよ 私の脳にあらゆる情景が浮かび上がってきた。
家の裏の黒松林から日本海の春の情景が浮かんでいた。

特に第二楽章がすっかり惚れ込んだ。

増幅器の製作を始めた”807A”という真空管を出力に採用して製作した。夜に聴く時には、思わず部屋の明かりを消して聴きたくなるような、 真空管のソフトなオレンジの灯りに、ノスタルジーさえ感じさせられる。スピ-カ-ボックスはリンゴ箱に綿を張りスピーカを取り付けた。

小遣をためてベートーベン田園交響曲のレコードを買ってきた。

毎日帰宅するとすぐ手作りのアンプの電源を入れる。真空管のフィラメントがぽーと赤くなりピンピンとかすかに音がする。暫く時間をおいてから、レコードに針をそーっと落とす。私の至福の時間となった。ボリュームを大きくして聴いていた。

二十日くらいたった頃だろうか家の前で女学生の制服を着た人が立っていた。レコードをかけた時だけたっているようなのであるそして時間は午後4時頃この曲をかけるときと決まっていた。

一枚しかないレコードの田園交響曲ばかりである。この曲をよほど好きな人なのだろうかと思った。

一ヶ月も過ぎた頃だった。わたくしが曲をかけたまま外に出た。彼女ニッコリしていった。「いい曲ね」・・・「俺も好きなんだよ」と言った。彼女は典型的な色白の新潟美人だった。目がパッチリとしていた。そして自分の写真を私によこしてくれた。

この写真は私のアルバムに貼ってある。もう六〇年以上でセピア色になってる。

秋頃から姿が見えなくなった。どーして写真などくれたのか いまだにわからない。

でも私と同じ田園交響楽が好きだったことに心の共鳴はあったが交際の進展はなかった。今思う 交響曲第2番にふさわしいと思った。

私と同じ歳だとすれば82歳のお婆ちゃんになったであろう。どーしているであろう

逢いたくなった気持ちが湧いてきていた。

YouTyubeにレコード盤の曲がアップされていた。お借りしたので聴いてみた。なつかしい!!

下記田園交響曲第2番の文字をクリックしてください。

アナログレコードの針音はなんと!!心に響く!

田園交響曲第2番

ハンス・シュミット・イッセルシュテット&ウィーン・フィルハーモニー

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コメント

昭和25年頃でした。従兄がアンプを組立、最初に買ってきたレコードが田園だったのです。当時の時代の雰囲気みたいなものがあったのでしょうね。
私も繰り返し聴かせられ、田園と聞いただけでメロディが浮かぶまでになりました。仙台に田園という高級喫茶店があったようにも記憶しているのですが。
映像に出てきた演奏会場は、元日のニューイヤーコンサートで使われるウイーンのホールのような感じがしております。
外で聞いておられた女性ですか。良い思い出をお持ちですね。

watari41さんコメントありがとうございました。

watari41さんの従兄の方が真空管アンプが好きで「田園交響曲」~ 私と共有していましたね

喫茶店田園には良く行きましたよ。 今はなくなりましたね 寂しいです


田園交響曲の好きな女学生にお会いしてみたいですね 


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