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2012/12/19

戦中戦後を生きた少年の記憶その二

3,呉海軍工廠へ動員命令

級友たちが機雷に触れ空中高く舞い上げられて散ってしまったあまりにも悲惨な衝撃が何時までも脳内に残りほかの記憶は断片的にしか残っていないのである。

脳内の映像は呉海軍工廠の工場で特殊潜航艇の魚雷発射口の旋盤を操作していたこと。そこに特攻隊員が来て赤い顔し酒匂を放ちながら柔和に私の肩に手をしっかりあてて
言った。

「俺はこれに乗る。頼むぞ!」

この特殊潜航艇は真珠湾を攻撃した型と同じだと言うこと。Tokuetazima06

現在 海上自衛隊幹部候補生・第一術科学校(旧海軍兵学校)に真珠湾攻撃した特殊潜航艇が復元され置かれている 。

私はこの画像の先端部分の魚雷発射口を永いこと見つめていた。特攻隊員の柔和な笑顔が浮かびでていた。
82歳になった、皴顔の目から涙があふれていた。

Photo_2

工場内には人間魚雷も製作されていた。完成した人間魚雷に休憩時間に乗ってみた。Ninngengyorai_2 ハッチは上から閉める構造である。乗員が乗ったら最後ハッチは内部からは開けられないのだ。この人間魚雷は靖国神社悠就館に展示してある。

和歌山県の熊野に、那智山青岸渡寺がある。補陀落渡船とは、生きながらにして、海へ出て、補陀落浄土に向かうと言うことである。この渡船は上から蓋をし釘打ちするので中に入った人は出られない。海流にのって補陀落浄土の旅に出て死ぬ。

私はこの魚雷に乗る特攻隊員は神仏ではないかとおもった。

あわてて開いているハッチから出て特殊潜航艇魚雷発射管の作業現場に戻った。

呉海軍工廠動員解除から帰郷までの記憶へ

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コメント

>魚雷は靖国神社悠就館に展示してある。(遊就館)
私も見たことがあります。戦争記念館・博物館でもありますね。
物がなければ後世には伝わりませんね。もうここにしかないのではと思います。
先端部分は旋盤加工になりますね、動員学徒の仕事でしたか。
真珠湾で使用した特殊潜航艇は、一隻が砂浜に打ち上がってしまい、米国に
徹底的に解析されてしまったという戦後物語がありました。

watari41さんコメントありがとうございました。

もう遠い遠いことになりました。人間も生まれた瞬間から 補陀落渡船に乗船したようなものだと思っています。

戦争のキナ臭いが漂いはじめています。おそらく核で人類は滅びてしまうのでしょう

愚かなること人類  です

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