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2013年8月

2013/08/17

映画少年Hを見て

Syounenh
少年Hは昭和5年生まれ私と同い年であった。15歳!私は呉海軍工廠に動員で米軍の艦載機の機銃掃射を受けながら特殊潜航艇を作っていた。辛かった。敗戦になって初めて気がついた。この国は何だったんだろう。竹槍で戦えといっていた軍事政権の愚かしさを知った。

もう83歳になって思うには現代の恐ろしさがうねって押し寄せていると感じる。あの時と同じ暗雲が心に覆い被さってくる。戦争を知らない人が多くなった。同じ過ちを繰り返す暗雲が漂うのである。 愚かなること我ら人間!

2013/08/15

90歳の姉を訪問

8月3日老妻と連れ立ち上京した。久しぶりにあった姉は私の顔を見るなり「歳とったね~」私も同じ言葉を返そうと思ったが言わなかった。元気で曾孫の男の子二人(3歳と5歳)に囲まれて賑やかに暮していて90歳にしてはとても若いと思ったからだ。

昔の話に花が咲き毎年同じ事の繰り返しての思い出の話しになるがいつも新鮮に聞こえるから不思議である。

森羅万象すべて朽ちて果てるのであるが、朽ちて果てることの幸せを噛みしめた。東日本大震災に身内に犠牲になった者はいなかった。

1758年に生まれた良寛さんは1831年1月6日74歳この世に多くの生きるための教えの言葉を残されて逝った。

地震にも遭遇されてたときの言葉に私は心を打たれた。

中野東禅著 「良寛」の現代訳語に記してあった。

「地震は本当に大変でした。私の草庵は何事もなく無事でした。親類中死者なかったとのこと、めでたく思います。「ぽっくり死ねばいいものを長生きしたばかりにこんな悲しい目にあってさびしいことです」しかし、災難からのがれるには災難の中に腹をすえることで、死ぬときは死ぬことに腹をすえるしかありません。それが災難から逃れる最高の教えなのだと思います」

姉とお互いの人生の皺を確かめ合い辞した。

夕刻は54歳になった息子と神道の大学行っている孫20歳と化学を専攻して大学院を来年4月に卒業する24歳の女の孫と共に隅田川近くの42階にある中華料理店で楽しいひとときを過ごした。神道を専攻した孫の話に感動した。

1,教育勅語は暗記していた。素晴らしい日本の言葉だという。

2,歩くことの姿勢を宮本武蔵に見習っている

化学を専攻した孫はある製薬会社に就職も決まり、今卒業論文執筆中とか

孫達と記念写真を撮った。都会の夜の風景は現代建築の美を照明に照らされて映えスカイツリーも誇らしげに天に向けスマートな姿を見せていた。しかし 私は恐ろしさを感じた。鉄筋とコンクリートもいつかは腐食・崩壊する。すでに高度成長時期に建設されたトンネル・橋脚は崩壊が始まっている。

欲にまみれた現代に反省をうながす。良寛さんの言葉は重い!

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