このような記事を書くこと・読むことは暗くて避けたいと思いながら書くことがなくなってきたからか・青壮年時代の楽しかったことを書いても現代の方々は目もくれないであろう。今はIT時代である。分らないことは検索機能を使いば直ちに答えがでる。ますます発展してゆくであろう。
TVゲームと同じアクションが現実に実行されて大きな衝撃となってるいるが次から次に発生しているので「またか」と思う時代である。命はなんなんだろうと思う。
生と死を高齢者の私がどのようにとらまえているのか書いてみたくなった。
生を活発に楽しみ謳歌している青壮年時代は死のことなど考える暇などなく生(仕事)に没頭していた。仕事が無くなりヒタヒタと押し寄せてくる死と言う世界を寿命年齢を超えてみてはじめて恐怖として知ることになった。死の世界を知ってる人は誰もいない。
周囲から親友も友人も逝ってしまうと、生と死への心の葛藤が大きく私の脳の中を駆け巡る。経験していない長生きをしてるいるために私を取り巻く新たな悩みの予測が多く襲ってくる。
その一つには妻にも子供にも世間さまにも迷惑をかけるボケにはなりたくない下の世話が出来なくなるまで生き延びたくない。時間があるからいろいろ予測し悩むのである。
高齢者夫婦自宅が火事・発生そこに住む老夫婦や 老親子の焼死体が発見された火災原因調査中と新聞・TV報道が非常に多い。介護に疲れ果てた末の殺人も多い。
苦しかったであろう 生の地獄を見てるようだ。
予測し悩む原因はやはり老化現象である。夜尿に目覚めるのも熟睡と言う快適な若いころのようにはいかなくなるからだろう。眠りが浅くなるといろいろの悩みごとが嵐の前触れの黒雲がもくもくと脳内を襲うのである。
佐江 衆一著「長きこの夜」に次のような一文が私の心に衝撃を与えた
97歳の父の股間をむき出し、紙オムツの蒸れた悪臭に鼻をまげ顔を顰め、みじめな姿生き長らえる血のつながる男への悪相を浮かべながらも、あれあれおじいちゃん、こんなにもらしてしまって駄目じゃないかと孝行息子の猫なで声でいい、白髪まじりの陰毛と尿にまみれた萎び男根を指先につまんで裏返しては清拭し、新しい紙オムツをあてがいながら、いい加減に死んでくれよ、母のいる冥土へさっさと逝ってほしいと神仏に念じ、♪イツマデ続く泥濘ゾ と軍歌の一節を大声に歌うわけにいかないから力なくつぶやいておのれを鼓舞しながら、尿にまみれた紙オムツをほうり込んだビニール袋をさげて部屋をでるのだった。・・・・・・
高齢化に待っているのは必ず辛い人生終末劇を迎えねばならないと覚悟を決めておかねばならないと思う。
散歩ですれ違う杖を突きながらの老婆にむかって、頑張ってください 長い間ありがとうと心で呼びかけるこのごろである。自分にも言い聞かせているのかもしれない。
今日3月25日は4月下旬の天気だと報じていた。紺碧の空である。
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