2009/11/03

11月3日山沿いに初雪

11月3日文化の日に仙台は山沿いに初雪が降ったとのニュースを聞いた。昼の空は晴れていた。
55年前の文化の日に妻が人力車に乗ってやってきた。
毎年11月3日は必ず晴れた。雨になった記憶がない。

娘一人息子一人も50代になった。
TVの特別番組で抒情歌、童謡・仰げば尊し・はじめ懐かしい歌が流れていた。

あと数年たてば平成の抒情歌の「なだそうそう」やトトロの主題歌等、現代の歌が懐かしのメロデイーとして流れるのだろう

昼食は石井屋のサンドウイッチを買ってきて自宅で静かにいただき遠い遠い思い出を声に出すこともなく過ごした。コーヒーの香りがサンドウイッチに似合うように。

午後は防寒具を着て晩秋日和の散策にでかけた。
日本の原風景である唱歌「故郷」をハモリながら♪兎追いしかの山・・♪この素晴らしい作詩を書いた高野辰之氏の風景は長野県の永江村でそこにそびえる「大平ォォヒラ山」と「大持ダイモチ山」が「かの山」であるという。

散策して遠くに見えた山も「故郷」と変わりはない。現代日本の人の心には故郷日本の原風景がみんな持っている。

今日散策して見た「山の白い」のは雪かな? 泉岳のスキー場と思うが

太平洋の水平線も青空に映えていた。そして時間が過ぎ夕刻になった。こうして私と妻の55回の文化の日が終わった。

09113hatuyuki_4

09113tiheisen2_2

| | コメント (8)

2009/10/31

生きているうちは達者でいたい

人生70年の道程が終り80年のはじめが霞んで見えてきた・・不思議な思いになってきた。それはこの世が夢のように見えるような感覚におそわれるのである。
深沢七郎著「おくま嘘歌」の書き出しの文章が私の脳に鮮明に刻み込まれていているせいかもしれない。

おくまは今年63で、数えとしなら64だが、「いくつになりやすか?」と聞かれると、「そろそろ、70に手が届きアす」と言って、数え年では66にも、67にもなるように思い込んでいた。(それだけんど、まだまだ、そんなに、)と腹のなかでは言っているのだった。
毎年毎年としの数がふえるのは悪事の数が重なるように恐ろしく、「いっそくとびに80になりゃいいけんど」とグチをこぼすように言ったりして「生きているうちは達者でうごいていたい」というつもりで言ってるのだった。・・・

戦時中は食糧がなくなり、おおきな飢餓に襲われた思いは言語に絶する!
飽食の時代になり「もったいない」の言葉が消えてしまった。
家庭団欒の食事はなくなり日本食が消えつつある。

振り返れば夢のようなおもいである。

10月31日は気温14℃まで急降下して初冬の風景が見えてきた。生きているうちは達者でうごいていたいとトボトボ歩きながら思った。

国見峠の踏切を電車が乗客のいろいろな思いを乗せて、はしっていった。人生の道程を走るように

| | コメント (8)

2009/10/08

台風の日に歩道の金魚を救う

10月8日台風18号メーロが仙台にも襲ってきた。歩道に池から 溢れた水と一緒に金魚がピクピクしていた妻が可哀そうだからと自 宅で濾過水を入れた陶器にご飯を入れ泳がせた。元気になった。池 の持ち主は留守で居ない。近くの公園の池で自由に生きさせることにした。外敵が多いかもし れないが陶器で飼うより良いと考えた。 元気で長生きしなよ!と自分に言い聞かせるように声をかけメーローにお別れをした。この金魚の名をメーロと付けた。
台風メーロ(ジャスミンのことをマレーシア語でメーローと呼ぶと河北抄で紹介されていた。優しい名は怖い)

| | コメント (6)

2009/09/08

今年の鱗雲

今年も草の葉に白露が宿り始める「草露白」を迎えました

空気が澄んでいて「うろこ雲」がよく見えました。夏もなく梅雨明けのないまま秋に入りました。

Urokogumo_3

気温の乱高下には高齢者には堪えます。インフレも重なり厳しい秋になりました。

戦後に生まれた方は64歳になったこの世ですが環境破壊で除草剤もきかない「スーパー雑草」の出現で世界的食糧不足が懸念され、また海水面の上昇がスピードを上げている。等々戦中とは別な意味の不気味な世の中になりました。

すすき も秋空に映えていましたがUrokogumo2  

虫の声があまりにも少なくそして鳴き声が弱いのです。

ただ一つ嬉しかったというか 表現のしようがありませんが鬼ヤンマが一匹だけ目の前をスイスイ飛んであっとゆうまに姿がきえてなくなりました。先日天に召された幼少の時の友であったのかと思いめぐらしました。

私の「ブログ心」はいつのまにかカウンターが5万を超えていました。

閲覧された方々に心からお礼申し上げます。

「草露白」を迎えた09年9月6日 ブログ心管理者より 

| | コメント (8)

2009/08/28

幼馴染との別れ

朝の食卓に座った時 電話が鳴った。受話器を取った私は,不吉な予感がした。

男性の声が受話器から流れてきた「大変失礼なことですが私M・Tの長男のK・Tと申します。父が昨夜亡くなりましたがなにも書き物がなく父のいつも懐に入れている財布の中にM・O様の電話番号と名前が書いたメモ用紙が入っていました。不躾ではございますが父とはどのようなご関係でしょうか」私はこの日が来ることを予感していた。
M・T君は故郷の歳も同じの幼少のころの友である。お互いに高齢になってからは幼少の思い出が強くよみがえりお互いに電話で「いつもおなじ思い出話」を飽きることなく何回も繰り返していた。彼は奥様を早く亡くされ一人暮らしをしていた。旅行やカルチャーに積極的に参加されていた。寂しさを紛らわしていたのだろう。
M・T君の特に寂しく感じられるのは夕刻 自宅に照明のついていない帰宅の時であった。日本海の夕日は特に美しく寂しさを誘う風景でもある。
私に電話が彼からかかってくるときは夕刻が多かった。彼が一人で夕食を作り一人で食べる姿を思い浮かべて叫んでいた「生きよう」と。
今年の3月はじめの電話では肝臓が悪いので通院していると聞いた。酒を飲まないのにと嘆いていた。
5月中旬には入院するという。そして電話器を切るときいつも「またね」と言葉を交わすのであったが。この時は「さようなら・さよなら」私は慌てて「なに?」すでに電話は切れていた。電話しても通じなくなった。
7月に入ってから電話が入った私は安堵したが束の間の安堵であった。彼は東京の専門病院に入院すと言った。そしてまた「さよなら」と言った。
7月の下旬の電話でこれから手術だ「元気がでないので電話した君の声を聞きくと元気がでると言った」私は大丈夫だよとしか返す言葉が なかった。かれは黙って電話を切った。

彼は秋の夕刻の帰宅時に襲う猛烈な寂しさから解放された。私は何故か先に逝った彼を羨ましくさえ思った。老病死の重荷は生きているうちは軽くならない。それに耐えて生きねばならないと思った。
彼の冥福を故郷の方角にむかって祈った。弦楽のためのアダージョの旋律が聞こえていた。

| | コメント (8)

2009/08/15

64回終戦記念日に思う

今年も終戦記念日を迎えた。終戦から64年も歳月は流れた。日本の戦争を知らない戦後世代が日本全人口の4分の3を超えた。戦争参戦しまた空襲・原爆に被災し生き延びた人は70歳以上の方々であろう 戦争の地獄絵を語り始めた。

自国防衛のためにはアメリカの核にたよらず防衛力強化すべきだと言う意見を持つ人もすくなからず出てきたことに脅威を感ずる。

歴史には戦争のない時代はない。TVドラマでは国取り時代劇が視聴率を上げる。

国内は「経済競争時代の平和」には人の心が荒れてきて毎日のように悲しい事件が起きている。一種の個人戦争と呼ぶことができるのではないか。

町内回覧板に警察署の注意喚起のチラシが入っていた。それは夜間に住宅の窓ガラスを破り侵入する泥棒がおる人相画も添えてある。

さて自衛手段は如何にすべきか 相手は一方的に攻撃してくるのである。

夏目漱石著 「草枕」の書き出しの文章を思い出す。

山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。・・・・・

人の世は争うようにできているのだろうか

12時に亡くなった友に冥福を祈った友の顔が脳に蘇った。

甲子園の球場では戦争の知らない世代ばかりであろう冥福のサイレンが響き渡ったが 画面のスタンドでは笑顔で「はしゃぐ」若人が多かった 戦争は遠い遠い時代劇てきな存在になったのだろうか。

食が枯渇していた時代に食したタラの芽や山草を思い出す。

近くの樹林にタラの木の花が久しぶりの夏の日差しを受けて咲いていた。

Taranoki_2

| | コメント (2)

2009/08/09

カタツムリ?異常発生

梅雨が明けぬまま秋に入る気配。人間の作った異常気象が続く体調が思わしくないが外の空気を吸わないと脳がまいってしまいそうなので今日(9日)も湿度が高くそして霧の中に小雨まで降る散歩道を歩いた。

森の蝉の鳴き声が全く聴こえない。広瀬川周辺では元気のない蝉の鳴き声を聴いたがドーシタノダロウと思いながらアスファルトの道路端の草むらを見て驚いた。カタツムリのような虫が大繁殖していた。アスファルトまで這い出してきて車にひかれている。日本のカタツムリは「でんでんむし」と呼ばれ童謡にもなっているが外来種なのか愛らしくはないのである。Photo_2

気持が悪いくらいの大繁殖である。これも梅雨のつづく気象のせいであろう。

夏空は見られないのだろうか童謡「四季の雨」の歌詞のような季節はもうこないのだろうか。予報では台風がまた雨を持って近づいてるようだ。

♪俄(にわ)かに過(す)ぐる夏の雨、
物干し竿
に白露を、
名残
りとしばし走らせて。
俄かに過ぐる夏の雨。

| | コメント (6)

2009/07/27

道草

道草
大暑が過ぎても梅雨が明けない。九州・中国地区には豪雨が続く、被害に遭われた方々頑張ってください。犠牲になられた方々の冥福を祈ります。仙台は高温多湿の日が続いていますが雨量が多くないので雨具をつけて老体に鞭打って徒歩にでかけました。道端の雑草は伸び放題で威勢がいい、その生命力に打たれます。刈られても刈られても高温多湿が加勢しているのか綺麗な花を咲かせます。土の中の根の力ははかり知れないほど強い、アスファルトも突き破り地上に這い出てきて花をつけ実をつけ種の保存に懸命です。雑草の名前はわかりませんが撮影し帰宅したら庭先に20年前に植えた桔梗が迎えてくれました。九州・中国地方の豪雨が早く上がるように願った今日27日の散歩でした。

| | コメント (7)

2009/07/20

海の日に鶯の囀りを聴く

仙台はまだ梅雨明け宣言が出ない。今日は海の日(7月20日)に相応しい天気 晴れ 気温29℃になった。国見峠を散策した。樹木から鶯の囀りを聴いた。春の囀りより違うのがわかった。(ビデオ後半に収録)今年も夏本番がちかくなった。

鶯の囀りを聴きながら小休止しながら思い出した。平安時代に疫病が大流行しこれを鎮めるために祇園御霊会が始まったという。
現代の疫病は新型インフレインザであろう。
人間を攻撃してきた。眼には見えないので怖い。ウイルスを発射する鉄砲は人間の吐く息である。ウイルス丸は新型を製造しながらの作戦である。平成の疫病である。
鶯のこの季節の囀りは警鐘のように聴こえた。
私の生きてきた79年間に遭遇し死線をさまよった疫病は「ジフテリア」「赤痢」であった。「生きる」のは容易ではない。なるがままにしかならないと思いば心軽やかになるそこに微笑みが生まれる。と鶯の囀りを聴きながらおもった。海の日

| | コメント (6)

2009/07/14

梅雨にかすむ見事な百合

梅雨があけぬな~草花がしっとり露を含んでさいている。梅雨がまだあがらないうちに文月もなか頃をむかえた今日十四日午後散歩に出た。

いつもなにかしら私の脳に浮かんでくる事象は印象深い本を読んだ時である。

「ニュートリノ入門」「超ひも理論と影の世界」ほか3冊を纏めて購入してよんでいるので今日の思いは人の世から認められていた知識である常識は現代物理学はじめ生物学等々の進歩で打ち破られてゆくようだ・・・「君そんなことは常識だよ」と言われない世になったな~と考えて歩いていた。

国見峠の方面で、それはそれは美しい百合に出会えた。花色をなんと表現したらよいのかわからないくらい 美しい姿と色合いであった。

Yuri2

| | コメント (6)

2009/07/12

高齢者と時間と宇宙

時間を大切にし有意義に使おうと思いながら70代の最後の道程を生きています。時間を有意義に使えるのは気力・体力があってのときは時間を意識しないですごして行けました。

知人の85歳の方のお話では同級会が開催されなくなった。みんな体調が悪くなって逝く友も多くなったからです。

人生「生老病死」の言葉どおりとおもいました。

さて「死」とはなんぞやとの問にたいする答えはないから恐怖がでる。悟りを得ることにあると言われていますが仏教的ではなく科学・物理的に死の世界がわかれば分かれば恐怖もなくなるのではと変な考えを思うのです。

時間の流れを気にすることをいくらかでも癒してくれるのは宇宙を感ずるときです。四季折々の空や風景や美しい花々その四季の時の流れがそうです。

日本の物理学・実験は世界一(現在は!)物理学者;戸塚洋二先生はニュートリノに質量があると発表され実験で証明する前にがんで死亡されました。本当に残念なことでしたが実験グループが成功させたという

世界の定説をくつがえす報道と「ホームページ大学共同利用機関法人(KEK)」に丁寧なわかりやすい記事をよみました。

加速膨張中の宇宙も新しい理論が誕生してくることでしょうが 地球も何時かは消滅すると思うとなにか人も宇宙も同じような気がしてきます。

宇宙を含めて万物にはすべて初めがあり、そして終わりがある。寿命を持っている

今日は梅雨日和 こんなことを考えながらも体調を気にして終わりました。

夕御飯も近い時間 6時15分

| | コメント (2)

2009/06/14

散歩道でいつもとおる「からたち」の垣根

相と変わらず毎日の散歩にでる。梅雨時には何故か故郷の少年時代を思い出す。どんよりと曇った空が故郷越後の裏日本特有の空に似ているからだと思う。

肝臓ガンで入院した幼いときからの友、TM君は苦しんでいないだろうか気にかかる。

散歩するにはからたちの垣根のある家の前をいつも通る道になっている。
からたちの大きな棘の先端を人差し指でそっと触ってみた「チクリ」と刺された。痛い!
その刺激のせいか「からたちの花」の詞をはもっていた。

からたちの花が咲いたよ。Karatati
白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたいよ。
青い青い針のとげだよ

からたちは畑(はた)の垣根よ
いつもいつもとおる道だよ
からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかったよ。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

この詩は

北原白秋の母校福岡県柳川の矢留尋常小学校の通学路「鬼童小路」(おんどこうじ)には、からたちが畑の垣根として植え並べてありました。その原風景から生まれた詩である。

この美しい詩を山田耕筰作さんは北原白秋さんと同じ思い出が幼いころあったように美しい心に染入る作曲をしたのかな~と思いました。
またこれを歌った森 麻季さんの天使の歌声YouTubeで聴き感動いたしました。YouTube動画埋め込みさせていただきました。

| | コメント (4)

2009/06/06

梅雨入り

今日6月6日は旧歴の入梅にあたる。気温18℃霧雨が終日続いていた。Ume 読書をやめて午後3時に雨具を着て外にでた。庭の梅の木は今年多くの花をつけていたので梅の実が豊かな姿を雨露を覆いその姿を見せてくれていた。Gyouzyaninnniku

「行者ニンニク」の花も冷たい水滴に包まれていた。晴天にはこの姿は見られない。

静かな道を歩きながら読んだ本の記事を反芻していた。吉村 昭著「ひとり旅」(文芸春秋刊)序に奥様である津村節子さんの記事が胸を打った。吉村 昭氏の最後の著作であると記されていた。

この中のエッセイ「一人旅」を「ひとり旅」として表題にしたのは、彼が研究家の書いた著作も、公的な文書もそのまま参考にせず、一人で現地に赴き、独自な方法で徹底的な調査をし、資料はむこうからくる、と自負するほど思いがけない発見をしているその執念と、余計なフィクションを加えずあくまで事実こそ小説であるという創作姿勢が全編に漲っているからである

私は思った「戦艦陸奥 爆沈の真相」・「撃沈 雪の海漂う兵たち」 等々 身の毛もよだつような人間の悪魔的行動が生と死の刃渡り的な状況になったとき発生するのだと、そしてその真実は封印されてしまう。

また事件が歴史にもなったことも知った。

私は現代の報道やテレビも視聴率を高めるための「やらせ」までエスカレートしている現状に恐怖の念を抱く。

吉村 昭氏は病の身を負いながらの徹底的な調査「ひとり旅」を創作された。

私は生きる!ことの意義もふくめ大きな教えを受けたことに深い感謝をした。
真実の報道こそ新生日本の基盤になると考えながら入梅に入った灰色の空を見上げていた。 平成21年6月6日

| | コメント (4)

2009/05/26

入院した友の回復を祈る

友の見舞いに行かねばならない。そして逢いたいと思う気持ちが大きくなってきた。電話でのさよなら さよならが耳から離れない。

春の終わりの強い日差しを背にしながらうつむき歩いた。故郷はバスで4時間かかるが行きたい念が強くなる。薔薇の咲いてる公園のベンチに座りどーしてよいか考えこんでしまった。

友はどうゆう状態だろう おそらく抗癌薬の副作用や激痛に耐えているのかも知れない。あの電話での言ったこともない「さよなら」の言葉の意味は深いと感じた。

そのとき脳裏に浮かんできたのは吉村 昭著 「死顔」(新潮社)の次の文章である

・・・末期患者であった頃の記憶が胸に焼きつき、見舞いに訪れてきた人に元気をよそっていた自分の姿がよみがえる。虚勢をはり、それ故にその後の甚だしい苦しみが思い起こされる。
このような経験は、重病人に共通したものではないか、という思いから、その後、死の確定し病臥している人の見舞いに行くことはひたすら避けている。それに、病み衰えた人の顔、体を眼にするのは失礼だという気持ちもある。・・・・

私は大腸手術2回3カ月の入院をした経験から思い出すことは、お見舞い者は来ないで欲しいと願ったものだ。幸いにも病院内で現役の頃私が尊敬したただ一人の上司と巡り合った。不思議を感じた。

上司が私に言ってくれた言葉は「安心しなさい誰にも言わないからゆっくり養生しなさい」と痩せ衰えた私の顔をみて言った。「お前を酷使したのかもしれない私のせいかもしれないな!」

私は「いいえ いいえ」としか言いようがなかった。

私は嬉しかった重病になってるときのお見舞い客ほど迷惑なものはないのである。健常者のお見舞者は笑みも深めて世間話を数人で声高らかに話し合うのを見聞きしていた。不快きまわりない光景である。

友TM君の電話の「さよなら さよなら」の意味はよくわかったような気がした。私は椅子から立ち、遠い故郷の方向に向かって合掌した。私も旅たちの日は近いから 逢おうなと低い声を出してつぶやいたていた。

太陽は夕刻の光を見せていた。ピンクの薔薇が映えていた。
                         写真クリック拡大表示

                                                                                    Pink1

                          

| | コメント (8)

2009/05/25

親友から「旅たち」の電話

今日は5月24日気温23℃ 公園のバラも最盛期後半になってきた。撮影のために出かける寸前に固定電話着信音が鳴った。靴を脱いで急ぎ私は受話器を取った。

私の名を告げたが、かすれ声で聞き取れない 私は再度名を告げた。ひどく落ち込んだかすれ声でTMです。「どーしたの」 「肝臓ガンで入院することになった。財産整理をしていたがどうしても元気がでない 君の声を聞くといつも元気がでるから」とかすれた低い声で言った。 私は答える言葉を探していたが「え~」「え~」 としか言えなかった。

お酒は飲めないのに肝臓が悪いのだと重ねて言っていた。

TM君は「電話またするよ さよなら さよなら」

いつもの電話では「ではまたね」で受話器を置いた。今日は「さよなら」である。ちょっと待って、といいかけたが受話器は切れた。もう覚悟はできているのだろう

TM君は私の故郷新潟で町内も同じであった。幼少のころからの友であり腕白であった私に愛着を持って付き合ってくれた。MT君のお母さん お婆ちゃんも私を可愛がってくれた。一生忘れえぬ方々である。

歳月は流れMT君は私と同い年の79歳となっていた。奥さんは8年前に死別され一人暮らしで元気に暮らしていた。2か月一回は電話で昔話をしていた。

話の内容は金太郎飴のごとく同じである。

昨年あたりから肝臓が悪いので専門病院に通院するようになった。と言っていた。そして気弱なことをゆうようになってきた「夕方暗くなってから帰宅すると自宅の電灯がついていないので寂しい」裏日本は春夏の季節だけは空は明るいが秋冬はどんよりした灰色につつまれる裏日本特有の憂鬱な気候となり気が落ち込んでいるときはこの灰色のどんよりした風景は憂鬱の追い打ちをかけてくるようだった。

受話器を置いて公園の薔薇を撮影にでかけたが気が落ち込んでいる。薔薇ももうすぐ枯れ茶色になって地面に落ちる。人生も同じだと思った。元気で活発に遊んでた時があったのだ今撮影しようとしてる薔薇のように輝いていたではないか 私の旅たちも必ずくる。すべての人にも同じようにくる。気を取り直しTM君に薔薇を贈ると念じながら撮影した。

TM君には白薔薇が似合うとおもった。

Sirobara

| | コメント (4)

2009/05/24

高齢者ブログの迷惑コメントに思う

世界保健機関(WHO)が発表した2009年版の世界保健統計によると、07年時点の日本の平均寿命は女性は86歳、男性は79歳であるとゆう 寝たきりの方も入っている統計だと思う。

また日本男性の肥満型・太り気味型・標準型・痩せ型の平均寿命を研究しているある大学の先生がテレビで紹介されていた。

「痩せ型」が寿命75歳で最低で「太り気味型」が長寿であるとあった肥満型は痩せより長寿のようだ。私は超痩せ型であり78歳6カ月で生きている。この世の激変を思うともうたくさんだと思うようになってきた。

毎日することは無念無想の散歩と季節に咲く野花をデジカメで撮影しているうちに日が暮れる。

帰宅後ブログの記事を書くのと新聞を読むこと、本は藤沢周平さん山本周五郎さんの著書が好きなので声を出して読む。同じ小説を何度も読む。歳を重ねるごとに著者の言わんとしていることの新たな発見があるので楽しい。死期が近くなってくると読んでる文と共鳴するときがあるからだろうと思う。

ブログの記事を訪問していただく方々またコメントをいただく方々には心から感謝しています。このことは、ただひとつの外部の人々との繋がりができている。という大きな喜びになるからです。

しかし迷惑コメントが入るようになってきた。可能な迷惑コメント対策を設定した。非常に残念なことである。この設定をすることでコメントする方まで書き込みに手数をおかけしてしまう

どうしてこのよな行動をするのか昭和初期の生まれの私には理解ができない。非常に残念である。高齢者はブログなどやるな!といわれているようにも思う

私にとっては少年時代の友とのメールのやり取りが大きな生き甲斐なのだが多くの友が「旅たち」いなくなっている。私のブログを見て楽しみにしている幼年のころの友もいる。一時は迷惑コメントに嫌気をさしてブログをやめようと思ったこともある。

しかしITはますます高度化して重要な必需品となるだろう。対策設定も高度化してきた。これを活用して「ブログ心」を書き続けて行くことにした。アクセスカウンターも5万の大台に近づいてきたのだから こうしているうちにも時はながれる。歳月人を待たず。

| | コメント (4)

2009/05/21

高齢者と新聞

情報技術がますます高度化している。ある銀行では社員を減らし窓口は受付だけである。通帳はなくキャッシュカードだけである。定期預金を下すとする場合はパソコンを使って自分で操作をしキャッシュカードに入金してATMから引き出す。または電話での対応も可能だが相手は電子音声であるその指示に従った暗証番号・口座番号の数字を電話機の対応数字を押すとようやくオペレーターがでて定期解約の指示を出せるのである。おれおれ詐欺は防げるがパソコンを操作をできる高齢のかたであればスムーズにできようが。

耳の遠くなった老妻に電話操作による解約操作をしてもらった「わたしが年の順から行けば旅たちが早いから」である。やはり操作はできなかった。「信号音が鳴っている間に口座番号と暗証番号を入力しなければならない」これはあいてが電子音であるので聞き取りにくいのである。日常会話でも聞き返される高齢者には不向きである。
パソコンITプロバイダーのヘルプ窓口の電話対応と同じであるオペレーターがでるまで電子音声である。

新聞も電子化されてしまうのが私は怖いのである。老妻は新聞を老眼鏡をかけ幸福そうに新聞を両手で広げ隅から隅までゆっくり読んでいる。日に何度も見るのである。至福の時間がゆっくりと流れているように見える。子育てをとうに終わり残りの時間をたのしむのが新聞なのである。印刷活字は大きくよみやすなってきた。必要な記事は切り取りできる。

これが電子音でパソコンで配信されたらどうだろう 至福の時は吹き飛んでしまう

団塊の世代がすでに高齢者になだれ込んできた。このかたがたが長寿高齢者になると必ず難聴や目のかすみ等々が出た時始めて気がつくであろう。アナログの良さをである。

新聞は無くならない、むしろ拡大してゆくと私は思うし無くしてはならない真実を伝えるために必要なのである。経済優先の\\\方式はすでに地球環境までも崩壊しつつある。

| | コメント (6)

2009/05/19

ゴンドラの唄

目を覚ます。まだ午前3時か、まだ生きていたかとおもうこの頃である。 

TV映像には新型インフレインザや環境汚染で海水面がどんどん上昇してサンゴ礁の島が全滅すること必至だと報道されていた。日本の個人の方が対策としてマングローブの苗を必至で植えている映像を見て頭をたれた。国レベルでの対策はないのである。

10センチ以上の水面上昇も出ているのではないかとされていると報じられていた。水面上昇はこの海水温の上昇の結果である、大気温の熱を、海が蓄えた結果だとゆう
海は人間活動で吐き出された大気中の二酸化炭素の1/4を吸収し海の表面温度が高くなると、その分海面の二酸化炭素の吸収能力が低下し、結果的に温暖化を食い止める機能が弱くなる悪循環が始まっているというのだ 怖い

エコエコと掛け声だけで対策は何もない。新型インフレと同じでワクチンはないので手洗いとマスクである。

海水温が上昇すれば気象異常が発生しハリケーンが多発。また農作物も不作が続く人間は地球をここまで破壊してきた。地球人は大きな病にかかっている

人の生老病死と同じなのだと思って天井を見つめていた。ゴンドラの唄をハモッテイタ 黒澤明監督「生きる」の名場面「志村喬が演じる渡辺課長は胃がんを宣告され余命いくばくもないと知ったときの死との葛藤と残りの日々をどう生きるのか 町民からの要望であった児童公園の建設をやりとげ夜更けの公園のブランコにゆられて唄う一つ覚えの「ゴンドラの唄」の美しさは忘れられない。

地球人が破滅する今なにかをしなければいけないのではないだろうかエコエコ踊りでなく実行のときである。だが寿命余命いくばくも無くなった私は「ゴンドラの唄」を唄い「明日の月日のないものを」と締めくくった。

パソコンのセキュリテイソフトからウィルスがでました。ワクチンソフト?をダウンロードしてください。とメールが入った。ウイルスはすべて後手後手の対策だパソコンも。

| | コメント (4)

2009/05/17

残る桜

Tirusakura_3 [散る桜 残る桜も 散る桜」。良寛和尚の辞世の句といわれている。和尚の人生観・死生観をしのびながらゆっくり歩いた。

今日この頃の残る桜のことをうたったと思う。そぼ降る春雨の中 散歩しながら残る桜が愛おしく思えた。

つつじは満開の時を迎え咲き誇っているしかし散るときがくる 散る桜と満開のつつじを楽しんだ。

Tutuji_3

| | コメント (2)

2009/05/05

こころを癒す若葉色

美しい緑の葉を春の光が透過するWakaba

わたしのからだが緑に染まる

こころも緑に染まる

木々の息吹きの香りに癒される

 

| | コメント (8)

2009/04/23

ユキヤナギのおしべ めしべの美しさ

公園のユキヤナギも今満開である。その美しさは枯枝に雪をいただいてる風景そのものである。しかし雪の結晶もマクロでみるとまことに幾何学的文様をみせてくれるがユキヤナギのおしべ・めしべは天然の美術品である。Hana2_4 いや神の造形された美しさに圧倒されてしまった。写真クリックでめしべおしべの芸術的美しさを見てください。

Yukiyanagi_2 ユキヤナギ全景

| | コメント (5)

2009/04/17

東照宮のさくら花びら舞う

四月十四日午後雨の予報 老妻とともに東照宮の桜が色あせぬ間に午前中に急いで出かけた。参拝者もほとんどなくゆっくりと鑑賞することができた。

さくらの花びらが舞っていた 本当にさくらは散るのは早い 雨がふれば美しい姿はいっぺんに変容してしまう。

仙台東照宮は二代藩主伊達忠宗公が慶安2年(1649)から承応3年(1654)までの5年がかりで造営した神社です。江戸幕府への配慮から、徳川家康公を祀る、日光東照宮(栃木県日光市)を勧請し、人足:583675人、大工:129967人、材木:24730本、総工費小判22496両掛かったという一大事業でした。全国から棟梁や絵師、材料なども一流を求め、当時の技術の粋の結集した伊達文化の総決算のような存在と言えます。

とのことである。私は神社を造営した人足・大工・棟梁・絵師達の他愛の努力の成果であろう。この方々の人間ドラマを知りたいとおもった。

さくらの木は知っているが聞き出すことができればと、花びらが春風に舞う姿を追いながら思った。今年の美しいさくらをシカと目に焼き付けた。

Tosyo3_2

| | コメント (6)

2009/04/10

藍色庭石菖

森羅万象、種保存の季節、春は活気に満ち満ちている。いつもと変わらぬ日課の「歩くを頭の体操」と思って歩きなれた散歩みちを新しき発見を期待し想像力をたくましくする。

ある家の垣根に美しい野草を発見した。人の手にかからないで進化してきた野草は感動の色彩を私に与えてくれる。美しさは春のやわらかな日差しをその花に注いでいた、母のまなざしの如く。野草の名前を帰宅してから調べてみた「アイイロニワゼキショウ」であった

Aiiro

| | コメント (8)

2009/03/19

耳鳴り

老齢になると体のあちこちに小憎らしい現象がでてくる。その一つが耳鳴りである。耳鼻科に行くと先生から問われることは最近 脳MRI診断をしたことがありますか?である高齢者の耳鳴りは脳からくる場合があるからだろう。また眠れていますかの質問は必ずある。脳が充分休養が取れていないと耳鳴りの原因になるらしい。

私は常時左耳にジーンという音が聞こえるが気にならない程度であるがときおり「キ~ン」という音が訪れるその時この音が継続したらたまらないので祈るように消えてくれと心中で叫ぶ放物線を描いて消えてゆくのが現状である。消えていったときは「ああよかった」と一安心する。若い時のような熟睡はできない仕組みになっているので脳は休めないからであるとおもう。

体を疲れさせるために散歩を奨められる。しかしあまり歩くと膝を痛めてしまうので適当にしなければならない。体が疲れればよく眠れるからだ。

MRIは毎年実施することにしているがそろそろ「もういいや」という気分になってきた。

老化による体調変化は私の場合 進行が早いようにおもう そのように遺伝子に組み込まれているのだとおもう。パソコンソフトのようにバージョンアップができたらと馬鹿な考えが浮かぶ

今日19日は三月の気温最高記録された散歩時間を短縮した。異常気象が気にかかる一日であった

| | コメント (4)

2009/03/08

紺碧の宇宙に浮いてる月

紺碧の宇宙に浮いてる月をみてGeturei101 3月7日午後3時50分{月齢 10.1}

じっと見つめていた

いまはいましかない美しい光景

美しい光景はすぐに去って行く

川のながれのように去って行く

いまを大切に生きようと

冷たい空気を大きく吸った

吐く白い息は大気に消えていった

われも月も空も一つと感じたひととき

                       

| | コメント (4)

2009/03/01

菜の花がさいたよ

2月があっとゆうまに逃げ去り今日から彌生3月の一日どんよりした天気でした。午後の散歩のコースは国見と決めて

ノホホンと歩いていました。Nanohana大きな農家の畑に菜の花が咲き始めていました。

春の風情を演出してくれていました。

現世は人にとって不安ばかりいっぱいあります。

外来種のシロアリが襲来しており日本シロアリに効く薬剤は効果なしという。怖い!

うずら、がインフレインザに感染した感染源はまだわからない 鳥を見ると怖い!

金融破綻で退職者が拡大そして自死が増加している 怖い!

人口は少子化による人口激減するとの予測 病院閉鎖も拍車をかけているのか

等々 暗いニュースばかりの現今です。

菜の花を見つめていたら幼年時代を思い出していました。
小学校周辺は菜の花畑や西瓜畑で埋め尽くされていました。菜の花が咲くころは黄色の絨毯を敷いたように見事な美しい光景が展開されます。毎年菜の花が咲くころ故郷の思い出と戦争のことです。

戦争時代、少年であった私は呉海軍工廠に動員され特殊潜航艇の製作に励んでいました。

米国の艦載機が工場を攻撃に飛来して私たちは防空壕に避難しましたがその恐怖は忘れることができません。米国の艦載機に応戦した日本艦船の兵隊が被弾し血にまみれになって、たおれている様は地獄絵のようでした。

工場には人間魚雷も製作されていました。特攻兵士とお話したことも忘れることができません「行く」という言葉が胸に矢が刺さったように感じられました。(行ってきます。ではないのです)予科練に志願させられた友も多数いました。

東京大空襲で市民が地獄絵の如く焼け死に、原子爆弾で広島・長崎の市民は一瞬にして亡くなられて終戦となりましたが

現世は戦争を知らない人の数は日本の人口、平成17年国勢調査による10月1日現在の日本の総人口の確定数は,127,767,994人のうち、約1億人は、戦争を知らないと言われています。

戦争を知らない人口が多くなりましたが 陰湿な病原菌や金融恐慌等々平和の世も違った意味の恐ろしさを感ずるこのごろです。
しかし私はいつお迎えが来てもおかしくない歳になりましたので行きますの心境になりました。

美しい春の菜の花から勇気をもらった弥生の一日でした。

生命科学者 柳沢桂子さんの歌
 「いきるという悲しいことをわれはする草木も鳥も虫もするなり                             

| | コメント (6)

2009/02/22

春一番を見つけた!

20日は気温10℃の予報であった。予報どおりの天候でした。下着を一枚少なくして出かけました。国見水道浄水場には一部昼間だけ一般通路として提供されています。人気がなく私一人だけの道路を春を探しながらゆっくり歩いていました。

草むらに青色の直径7mm位の野花が群生していまいた。私は春を見つけました。

接写して撮影しました。拡大再生してみたら虫が蜜を吸いに来ていました。

なんてつつましやかに咲いているのでしょう。小さな小さなこの花は 薄青色の花びらも私は美しいと思いました。

私は嬉しかった 
青壮年のころにはこのような心を持っていなかったことを悔いてなりませんでした。

でも春一番をメッケタことは大きな喜びでした。 

花の名前はわからない 花にありがとう 虫さんありがとう

Nobana

この花の名前を教えてくれた親切な方からの情報です。「オオイヌノフグリ」とゆう花名でした

| | コメント (5)

庭の梅のつぼみ

Ume_2 梅見月の2月、もはや十日で三月を迎える。気温の変化は10℃以上も乱高下が激しい。春爛漫になったかと思うと吹雪になったりと忙しい。そのなかにあって庭の梅の蕾が膨らんできた蕾もこの気温の変化にどぎまぎしてるのでなかと思う 蕾の数も多いような気がする がんばってと声をかけた。私自身のこころにも言ってるのかもしれない

季節の変わり目の空は面白い、

白い雲・黒い雲・山のような雲・青空・が混在しているからだろうか 

TV番組、100年インタビューを聞いていたら
人の進化はなくなると言っていた。

それを裏付ける科学番組があった500万年Sany0010
以内に男性がいなくなる。男をつくるX染色体は急速に滅びつつあるからだそうである。

精子の数も少なく活力がないので試験管による受精が多く行われてきているとか

2月は逃げるように過ぎてゆき3月もすぐ来る

たあいのないことを考えてるうちに夕方になった。

| | コメント (4)

2009/02/15

衛星衝突に思う

宇宙空間で、通信衛星が10日に衝突、宇宙ごみが発生した。

と報道されていました。

今日14日は季節には早い「春一番」のような大風がふきあれました。空の青さを見つめていると衛星衝突のニュースが私の心を暗くしました。

宇宙までが人間の捨てるごみ箱になってきたのでしょうか。なんと悲しいできごとでしょう 粉砕された衛星のゴミは軌道上を超スピードでまわり今度はゴミ同士が連鎖的に衝突してさらに宇宙を汚してしまうのではないでしょうか。本当に恐ろしいことになってしまいました。

散歩にでて楽しいことは、空の青さを見つめることでした。宇宙が汚染されてゆくと思いながら見つめることは悲しいことです。

Hikokumo9212_415日撮影

 飛行雲

| | コメント (6)

2009/02/05

東風解凍の日

今日2月5日は東風解凍の日どおりの暖かい天候にめぐまれました。国見峠界隈散策を楽しみました。 インターネットの隆盛を担うNTTのアンテナ塔も紺碧の空を背景に鮮やかに浮かびあがっていました。Ntt 

標高230メートル、国見峠の頂上には仙台仏舎利塔があります。昭和49年にインド、スリランカ、ネパールなど5ヵ国の大使を招き、落慶法要がおこなわれました納められた仏舎利は、昭和29年に、当時のインド首相ネールから日本の平和国家建設を記念して贈られたものです
「図書〈杜の散歩道)八幡地区まちづくり協議会著から」

紺碧の空と3月中旬ころの気温にめぐまれ遠くには蔵王山脈・大東岳が浮き上がっていました。冠雪が少ないのも心配です。

程よい汗をかきながら、あまりにも暖かい気候を心配しながらの散策でした。そして東風解凍の日が流れ去って行きました。

Zaou

Photo

| | コメント (8)

2009/02/01

立春の予兆感じた2月1日

1月31日は仙台としては猛吹雪の部類に入る気候でした。故郷新潟を思い出しながら歩きました。吹雪も力強いものです。

今日2月1日「旧七草」は朝日が窓から差し込み紺碧の青空となりました。あと3日を過ごすと2月4日そうです立春となりますね。

今日は軽装で歩きました。昨夜の北風猛吹雪の痕跡が木々に残っていました。枝に見事に花のように付着した氷が春のような光を受けて美しく輝いているのを見ていると私は元気を貰ったように思いました。私は花のように付着した氷が春のような光を受けてポトポト溶けている落水は春の涙と思っています。冬将軍に連れられてきたのですから。

2月5日は春風に氷が解け始める頃 そうです「東風解凍」(とうふうこおりをとく)の日です。春がどんどん近くなります。冬将軍が涙しながら付いてきた春にバトンタッチするのが2月如月ささらぎですね

♪春は名のみの・・・・♪ 早春賦を歌いながらの生まれて78年2か月になった散歩でした。

立春の予兆感じた2月1日

0921

| | コメント (4)

2009/01/24

蒸気機関車は心を癒す

今日(1月24日)は冬将軍が帰ってきました。気温の乱高下に負けずに寒空の午前と午後を40分づつ歩きました。仙山線踏切を電車が通過する音を聞いてると 遠い遠い昔を思い出していました。あの頃は蒸気機関車でした。いろいろの思い出が私の脳内を駆け巡りました青春時代の甘酸っぱい思い出があふれるようにでてきました。蒸気の力で機械を動かすことが人の心と相通ずるなにかがあると思います。

汽車が発車するときは汽笛一声でゆっくりと動き出します。駅弁を受け取った人が弁当代払う余裕もあるくらいゆっくり動いてゆきます。恋人との別れのシーンや転勤する人がホームの友達と握手しながら列車と並行して歩いている情景 等々

帰宅後PCを開き「eyeVioのWebページ」で思い出深い蒸気機関車のビデオが公開されていました。

SLニセコ号 オタモイ峠 を走るビデオを「鉄ちゃん坊や」さんが公開していました。何度も繰り返し見ていました。「eYeVioで見るをクリックしてご覧ください音声も入っています。」

遠い遠い若い頃を思い出し涙が浮かんでいました。汽笛の音はなんであんなにヤルセナイ音にきこえるのでしょう 人生のレールを走ってることの実感が湧いてきました。高齢になるほど速度が遅いけど思い出はいっぱいいっぱいあるのだな~「鉄ちゃん坊や」さんに感謝コメントだしました。私が今度SLを撮影する気力が湧いてきました。ポ~ポ~

| | コメント (4)

2009/01/22

広瀬川畔に黄梅を見た

久しぶりに春の散歩コースである広瀬川畔に行ってみた。天気は曇天でときおり小雨 風景は春霞の走りのようである。牛越橋の標識の脇に黄梅がSany0006_3 冷たい雨にうたれながら新鮮な香りを漂わせて咲いていた。2月頃に咲く花と思っていた。春にめぐりあったよう ~

ハイビジョンカメラをポケットに入れていたので動画撮影してみた。三脚は持っていなかったので動画はぶれてしまった。

もう春は近くまで来ている

| | コメント (6)

2009/01/13

雪の予報が晴れだった

今日13日の天気予報では午後雪であったが澄み切ったキリリとした空気に太平洋の水平線が自宅窓から見られた。春の季節ではこのような情景は見られない。09113 散歩も引き締まった散歩になった。自宅から国見峠を歩き臨済院弁財天堂にお参りをかねて行ってきた。

今夜から寒気が通過し路面凍結の予報が流れていた。

| | コメント (8)

2009/01/01

年のはじめに漢詩を朗誦

私は年のはじめに漢詩を朗誦する。少年のころ学校の漢文の授業で偶成 朱熹の詩を教わった。

少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず

いまだ覚めず地塘春草の夢  階前の梧葉己に秋聲

人生歳を重ねるごとに素晴らしい人生の色彩も見えてくる詩であると思い、朗誦していた。今年79歳をむかえる私は「白髪雪の如く(はくしゅゆきのごとく)」になってしまった。

お屠蘇を家族でいただいた。28歳になる孫は小さい頃からその子の行動が普通ではないので心配していた。女学校のころから中国古文を始めた。今の世ではお金にならない科目である。たいていは父母は反対するのが普通であろう。老いた私は黙っていた。心中では「頑張れ 大学に入る理由はいい職業に就くためではない」と

父母は偉かったその道に進ませた。その科目を教える東京にある大学から大学院までいって卒業した。今社会人として活躍している 学問とは心を教えるところである 修めた脳は部門外でも通用する仕組みが脳にはできていると思う。

その子がまだしゃべれない赤ちゃんのころこんなことがあった。私はその子を抱いて廊下で庭の雪を見せていた私は室内の妻に顔を向けて話していたら その子は盛んに小さい可愛い指が私の頬を突っついてくる外を見ろと言ってるのだ

事実雪が大ぶりになっていたのである。それをしゃべれないので指で合図していたのである

私は「おおー大雪だな」と言った。妻は驚いたように見つめていた。

今ではその子は育ち古文にたけている。 お屠蘇で乾杯した。なにか偶成の詩がますます重要であると思った1月1日であった。

梧葉とは青桐のことだが見たのは高校生になったころとおもう

| | コメント (6)

2008/12/28

私の歩く靴底が新雪へ刻印に思う

今年もあと数日で終わりの今日29日、純白の雪がとうとうと踊り舞いながら降っている。

雪がとうとうと踊り舞えながら降っていることは空気の流れを見えることだ。この季節だからこそ空気の流れが乱気流であることが見える。雪片は上昇し下降し乱気流に沿ってるから雪片の舞え踊りだろうじっと見ていると面白い。雪幽霊である雪が地面に着地するまで滞空時間をようする雪片もある。 空気の流れは神秘的と思った。私は変なことを考えて歩く
般若心経のに通じるものがあるように思う 吹雪にも教えられることがある。

空は灰色でおおわれ、お天とうさんの位置だけが丸い薄い灰色でぼんやりして見えている。

日に一回の歩行は私にとっては生活の一部でこれを欠かすことはできなくなってしまっている。防寒して出かける。体温37.2度の微熱あるときもでかけるのである。歩行時間は最低で40分くらいにして午前午後でかける。冬至のころは午後は2時にスタートしないとすぐ暗くなる、これからは日が長くなってきているので嬉しい冬の後ろには春が泣きながら追いかけてきているように思うからだ。

帰宅してから下着を取り換えると身が軽く感じるのが好きである。Asiato_2  雪道には歩いた靴跡がクッキリ刻まれていた。こうして人生も歩いてきたと思った。

小鳥の鳴き声も聞こえるがその鳴き声は短いやはりサムイ・サムイと鳴いている。カラスの鳴き声はカラスではないと思うようなせつなそうな鳴き声である「カアーカアー」でなく「あーあー」と力ない鳴きようである。

無心に歩く私の心拍数は上がり体の血流が多くなり汗ばむ

帰宅したら私の机にココアが湯気をたてていた。

| | コメント (8)

2008/12/04

春待月の小春日和に歩く

平成20年も”終わり月”に入った今日四日は絶好の春待月の名にふさわしい小春日和であった。紅葉樹の散歩みちを楽しんだ。世は平成の名にふさわしくない乱世であるが景色はおだやかであるので心を洗われた感がした。

昭和のみよに生まれ今日で七八年と十一日もの月日の流れをさかのぼり思いをはせながら歩いた。この流れを一緒に歩いた、たくさんの人たちに巡り合った。そして生きてきた。あの人たちは”どーしてる”だろうと梢を見上げた。枯れ葉はくるくる舞いながら落ち、枯れ葉道になっていた。乾燥した空気で水分のない枯れ葉はパリパリと靴底で割れる音がする。
春待月の名にふさわしい音だと思った。だからだろうか?冬が去れば春である。この春のことを「北窓開く」と呼ぶがいい言葉だとおもった。

こんな雑念を思い、暮らす、毎日である。

Bannsyu

| | コメント (4)

2008/11/20

初雪

今日11月20日寝起きに窓をあけたら雪が降っていてドーダンツツジがゆき帽子をかぶっていた。初雪である。紅葉に白い雪は似合う 一句でそうな気がする

高齢のいまでは、もうすぐに春が来るなと思う。081120

芭蕉は 四季の変わりめを告げる初雪によろこび、「名句」をうたっているのだが。

私は今年の初雪が見られてうれしい

| | コメント (5)

2008/11/18

78歳の誕生日

11月18日は私の誕生日ついに78歳になった。残す人生ページは無くなった。天命がきめてくれた日々を過ごすのみである。戦中・戦後を生き抜いてきたが、こんにちほど心が置き忘れた社会はなかった。

世界が変革しなければならない時に来ている。期待されているのがオバマ次期米大統領である。オバマ氏の言葉は威圧的でなく目標をわかりやすい言葉でクリアでよく通る声で民衆に伝えているから非常に高い評価をされていると思う

日本を改革できるリーダーを私たちが選ぶ日も近い。

残す時間のなくなった私は「心の時代」が早く来ることを日々祈っている。

| | コメント (6)

2008/11/16

生きることに疲れた高齢者の自死

日本の自死数は年間3万人以上と発表されている。うち高齢者自死の割合が多い。歳を重ねると比例していろいろの苦が多くなってくる。(後期高齢者制度もその一つ)耐えられなく自死に至るのであろう。

また、すべてのことをなし終え 家族に負担かけない状態を確立したときこそ 人生「さらば」と思う方もおられるだろう。かえって 長く生きながらえることの方が家族に負担をかけることにもなる。「自主的姥捨山」であり悲壮感もない スイスの「自殺幇助(ほうじょ)制がやくにたつと思った。
日本では自殺幇助は認められていない。しかし高齢者の保険金は増加の一途をたどっている。これからも高齢者人口は増加し医療費ほかで税金投入が増えるのを政府が大きくきらっているのである。であれば自殺幇助を認めるようにしたらと思いたくもなる

尊厳死が認められるようになってきたのは高齢者医療費増加を防ぐためなのだろうか?

ココログ記事のブログネタに以下の該当記事および関係ホームページが記載されていた。

([swissinfo健康長寿ネット]) 

| | コメント (2)

2008/11/12

小春日和

11月もはや半ばになるここのところ小春日和に恵まれている。小春日和となずけた人は誰でしょう いい言葉である。

紺碧の空にトンビが2羽舞っていた。寿命到達したバラは凛として空を仰いでいた。Photo

自然は平穏な時が流れているが人間の世界は殺伐としているのが悲しい

南条 亮 著「人間この愚かですばらしきもの」を読んだ絵をみた そして思った。物のなかった戦中戦後時代 飽食の現代 も愚かな行動を人間はする。

南条さんの言葉

{人間は性懲りのない生きものである。歴史という気の遠くなるような 時間を費やしてきたにもかかわらず、 「いのち」とは何かという単純な問いかけにさえ、
いまだ答えを見いだせないでいる。}

空を仰いで感じていた戦中・戦後をかけぬけてきた11月に78歳を迎える私を!

| | コメント (6)

2008/11/06

雲と同じ目線で眺めた

秋の空気は透きとおっている

晴天の日 空を見上げる

ひろいひろい瑠璃色で染められる

雲が太陽の光を受け龍や人や花になり

ふんわり浮かび秋風に乗って移動する

その模るすがたはうつくしい

山に登りその雲を目線を合わせてじっと見つめる

それはそれは宇宙の美しさを感じた
                      emptyクリックすると全画面で閲覧
Zao

| | コメント (6)

2008/10/31

秋季の最後の日

今年の秋は米国発の金融危機で世界が荒れ狂った。日本は国の借金である赤字国債30兆円超を追加発行せざる得なくなると報道されている。また投機マネーが石油価格高騰まねいた。

庶民の打撃は大きい、後世に借金を残すようなことにならない景気対策が必要である。
そのためには明治維新なみの大改革が必要だと
秋季の最後の日,鱗雲を仰ぎながら嘆く  

Urokogumo31

| | コメント (5)

2008/10/28

葉桜の紅葉

晩秋の葉桜は小春日和の今日(28日)昼 陽の光を通した色彩に神々しさをも似た美しい光景を見せてくれた。

桜は春に花を秋に葉に七色の色彩を輝かしてくれる。その情景は短命であるゆえに美しい。

Sakura

| | コメント (6)

2008/10/24

晩秋の風景

今年の秋も、すぎさる川の流れのように往く 虫の声もか細く鳴くようになった。みみずやカマキリが晴れてアスファルトが暖かくなると歩道にでてくるのだ。何匹かは土に戻してやったがきりがない。昆虫も暖められたフェンスに体を密着させて温めていた。私もセーターを着て歩くようになった。寒気がおとずれる前触れだとおもう。冬将軍の斥候がこのごろの気温であろうか

| | コメント (6)

2008/10/16

過ぎ去る秋

貧困と富裕の格差社会はいつの世にもあった。家系の良い家の子が成人すると大臣や重役になるようだ、庶民は学歴や家柄に憧れ尊敬している。貧困とはどんなものか経験していない人が国をつかさどるのだから貧困層はいつまでも貧困になり格差社会が拡大してゆくが、しかし支配する人も必ず衰退する時が来る。

国も同じだ米国が金融破綻を起こした。環境破壊が追い打ちをかけてきた 新型ウイルスや奇病が勢力を増し人類に襲いかかってきた。

「すべてが変わる時が来た」のだ。芥川龍之介の名作「羅生門」のごとき惨状がくるような気がする。犬が人を食い人が犬をくう 

昭和一桁生まれの私は戦時中に町から犬が居なくなったことを思い出した。茶色の犬が美味いと言っていた大人が居たことを強く心に残っている。そのころ私はさつま芋の蔓を食べていた 現代では考えられないことである。昭和5年生まれは短命であると言われておるのは育ち盛りに栄養が取れなかったせいである。同級の逝く友が多いのが証明しているように思う。

私は夕食が終えると「ごちそうさん」「今日もおわったな」と声に出す。「一寸先は闇」であるので明日はないと思うようになった。

中秋の名月も終わり季節は秋らしくない日が続くこのごろである桜が咲いたところがあるとも聞いた。

毎日午前・午後に歩くことを日課としている。秋らしい風景をみたとき記録した写真をビデオにしてみた。

| | コメント (6)

2008/10/07

薔薇 白雪姫に冷たい秋雨の涙

シュネービッチェン「ドイツ語」は 世界中で愛されている薔薇の銘花。「シューネービッチェン」は白雪姫という意味だそうです。

枯れ行くまじかのシューネービッチェンに秋雨にぬれ涙していたPhoto

このように思うのは多くなってきた亡き友への哀悼する気持ちで歩いていたからだろうか

秋はなどか人に物思わする 秋雨も鳴く虫の声も 

白雪姫の涙を見た。

| | コメント (9)

2008/09/24

別れ

08924nifty 08年9月24日14時50分秋の雲
を撮影した。この日・時間・雲・強風は二度とあえない

当たり前のことであるが私には強く感ずる。

別れは絶対にくる。森羅万象すべてに絶対別れは来る。

だから「ありがとう」「すまない」「愛する」の三つの言葉を大事にする。

美しい今日の秋にこの言葉をおくった。

  

| | コメント (3)

2008/09/13

春・夏・秋の幻想

今年も敬老の日がやってきた春夏秋、流れる季節の早いのが恐ろしいように思う。脳内の春夏秋の幻想をビデオにしてみた。この季節に逝った友の思い出が浮ぶ。もう冬将軍が駆け足でやってきているそのあとに新しい春が続いている。時は廻るそして新しい生命が生まれる。そこに希望がある。

| | コメント (7)

2008/09/06

旅たち近いカルガモの親子

晩春のころに公園の池にカルガモの親子を観察するのが楽しみの一つだった。七羽の子は順調に育ち飛翔できる日も近いほど大きくなった。親は水中の藻をついばむ子を後ろで監視している。この姿はまことに頼もしい人間社会も見習ってほしいとおもった。
子鴨が飛翔すると言うことは親の子育て終了のことでもある。一家離散するのであるが悲壮感はない 悲しみもないのだろうか 定められたカルガモの遺伝子にしたがって居るのであろうが子育ての状況を見てきた私は感動するほど親鴨の外敵に対する監視行動に厳然としている姿に感動した。食事が終ると親を先頭にハ形の編隊を組み巣に帰った。親は七羽の子を実にうまく教育しているのである。子も親の指示を忠実に守る姿は可愛く美しかった。

oomotta

| | コメント (4)

2008/09/02

初秋の情景と日本政治機能不全

9月2日初秋に散歩専用道を歩いていた。 仲良し兄妹の微笑ましい情景とめぐり会えた。兄が妹の靴ひもをしばりなおしているようだった。私は同じようなことを姉からしてもらったことを思い出した。この兄妹が幸せに成長するよう願う。

今日もさわやかに終わった。Photoしかし日本の総理大臣が政権放棄したニュースが流れて居た。2年で2人も総理大臣の職務を放棄した。なんたることだろう。

この兄弟世代を幸せな社会に送り出すためには

団塊の世代と現役世代の活躍にかかっている。国民も立ちあがらねばならない時にきた。傍観してるだけの私も悪いと思う 

TVも競って番組を組み報道していたが視聴率向上の内容にしか取れなかった。

世界から見たこの日本政治の機能不全を呆れているのであろう。官僚も大臣も悪人の多い日本を変えるのは国民しかいない。兄妹が成人したころには新日本が成立してることを願うのみだ。

| | コメント (4)

2008/08/31

今日は二百十日

今年はうるう年で八月三一日が二百十日にあたる。夏らしい天気は少なかった今日三十一日は朝から強い雨に見わわれた午後から小雨となった午後四時ころには088312_3青空が小さく見えたので暗雲と青空のコントラストがハッキリ見えた。八月最後の青空に別れをつげることができた。大雨の被害は続いている。明日は防災の日の九月一日を迎える。

八月も私の日課である午前午後の散歩は休まずに実行できたのは嬉しい。季節は秋となるが穏やかな秋らしい秋になり実りの多いことを願う 

八月三一日(二百十日)夕刻の仙台市街↓
088315_3

| | コメント (4)

2008/08/29

散歩中に財布を拾った

今日8月29日も雨が続いている東海・関東地方は大きな被害が報道されていた。東北地方も大雨になる予報である。私は日課の散歩に雨具を付け出かけた時々薄日がさすが湿気が多く汗が体から噴き出す。傘を差し道路を見詰めながら歩いていた。散歩道には生協があった。バナナでも買って栄養をつけようかと思い生協入口の階段を見詰めたら階段中ほどに黒いものが見えた。黒い財布であった。中身も見ずに、そそくさと拾い上げて生協内のカウンター係に急いで届けた。係員が中を確認していた。「拾得物預かり証」に記入するよう言われた。拾った場所等を記入し終えてからバナナを購入して散歩再開した

落とした方はさぞ困っておられるだろう、お爺さんだろうか、お婆さんだろうか早く気がつけばいいが 自分の財布はあるか不安になり確認してみる。バス敬老乗車証もキャッシュカードも財布に入っているのである。落としたら大変に困るな~と自分が落としたかのように心配する。

公園池の吾妻小屋で小休止バナナを食べながら命拾いしたカメゾウのことなど考えて美味しく食べた。

帰宅したときは全身汗びっしょりになっていた。早く財布の拾得物語を老妻に話したかったが水彩画教室に行っていていない。

シャワーを浴びていたら電話着信メロデーが鳴った。急いで受話器をとった若い男の声で「財布落としたものです」と言い「助かりました 本当にありがとうございました」ああ!それは良かった 学生風の若い声に聞こえたので「学生さんですか」いいえ「社会人です。たすかりました」私は財布のなかみを見ていなかったので判断ができなかった。カード 名刺も入っていたのだろう。

若い会社員なんだろうか正社員かまたは人材派遣の社員かアルバイターなのか勝ち組なのか負け組なのかな、と想像した。今はあまりにもひどい社会である。そのなかでこの方は生きているのだなと「助かりました」の声の裏で聞こえていたように思う。新聞を広げた見た また農相の不明朗な政治献金が問題になっている記事が!政治家・官僚・すべてがお金の亡者のように見えてきた。

底辺にいる人たちで今の経済が成り立っているとおもう。結婚が出来ない若人が多いと聞く、少子高齢化政策を含め大きな問題が、あまりにも多いのに「次から次へと不祥事の多い大臣が登場してくる。官僚も教師も 地位を金で買う 恐ろしい社会になった。

「助かりました」の声は悲痛にもにていた。私の心は明るくならなかった。幸せにと祈るのみであった。

私は後期高齢者の後半に入った。この社会には邪魔な存在なのだと思った日でもある 

| | コメント (4)

2008/08/26

公園の池に放たれた かめぞう

8月26日午後のお遍路散歩にでた。休憩場所は公園の池のほとりと決めている。

八月だのに寒々とした長雨が続いている。秋の三日以上降る長雨は寂しいこの雨のことを淋雨と呼ぶが夏季に淋雨とは。異常なのだ。池の水面は暗い雨雲を映しているのでなお寂しさを感じる。

私はじっと長雨で泥で濁った水面を眺めていた。亀・鯉・魚が波紋を描きながら動いているが姿は見えない。

後ろに人の気配がしたので振り返ると老夫婦が水面を眺めていた。突然「かめぞう」「かめぞう」と水面に向かって連呼し始めた。
私は訪ねた。そしてその理由は次のような優しいことがあったのだった。

一年前の大雨の日、このご夫婦が歩道を歩いていたら30cm位の亀が歩道をよちよちあるいているのを発見した。亀はどこかの家の池で飼われていたのであろう大雨で池が満水して亀がはい出してきたと思われる、ということだった。しばらく亀の後を追いかけていたら亀は歩道の壁を越えて車道にでようとした。車道にでたらたちまち轢き殺されると思った老夫妻は迷子の亀を抱えあげて家に持ち帰り大きなたらいを購入してそこでこの亀を育てた。名前を「かめぞう」と名付けた。亀は優しい老夫妻に育てられて先日一年を迎え大きく成長した「かめぞう」はたらいでは育てられなくなった。孫達が夏休みに遊びにきた日にこの公園の池に放してあげたというのだった。夏休みも終わり孫達は帰って行った。老夫婦の静かな日が戻った。一年間丹精込めて「かめぞう」を育てた思いが心に焼き付いているのだろう。
水面に向かって「かめぞう」と連呼する声に愛情がこもっていた。水面に亀がかすかに頭が見えたがここの池には数頭の亀がいるので「かめぞう」かどうかわからないと言った。それに長雨で濁った水は透明度がない。

今日は夏休み最後の日で公園は子供たちでにぎわっていたので出てこれないのかも知れないとも言っていた。明るい空が戻って水面の濁りが無くなったらまた来ようと言って私に挨拶され帰られた。

今度はキット「かめぞう」が出てきてくれますよ命の恩人なんですからと私は言った。

にっこり笑って帰られた。寂しい淋雨の日が急に明るく感じられた。お遍路散歩だと私は思った。

                                                          夏なのに淋雨に霞む仙台市街

Rinnu

| | コメント (4)

2008/08/25

晩夏の冷たい雨に思う

8月25日午前11時の散歩に出かけた。天気予報では9月下旬の気温と報じていた。晩夏といえ異常である。
老後の私の散歩は散歩と思って歩いてはいない四国八十八カ所を巡る巡礼と同じと思って歩いている。私の結願は歩けなくなるまで歩いて考えることである。

般若心経の経文のうち「是諸法空相」を生命科学者の柳澤桂子著「生きて死ぬ智慧」(小学館)の心訳には

お聞きなさい あなたも宇宙のなかで粒子でできています 宇宙の中のほかの粒子と一つづきです ですから宇宙も「空」です あなたと言う実態はないのですあなたと宇宙は一つです

と訳してあった。なにか嬉しい気がした。悟りの世界に到達した方は幸せであるとおもう。また柳沢さんの あとがきの一文に私は嬉しさが込み上げた。

・・・・・とくに老いの苦しみは、言葉では言い表せないような寂しさと苦しさをともなう。このようなときに、あるがままの自分を受け入れる修業をつんでおくことは、これからの社会にとって、ぜひとも必要なことであると思う08825 ・・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

晩秋のような冷たい雨に道端の草花は戸惑っておるのではないかと思った。

四季の雨 文部省唱歌の秋の歌詞が似合う冷たい雨である。まだ実のつけていない木々も困っているのでのではないか

落葉がますます多くなってきた。 
狂ってきた地球 犯人は人間 私もその一人 せつない。

秋の歌詞は

おりおりそそぐ秋の雨、
木の葉
(このは)木の実(このみ)を野に山に、
色様々
(さまざま)に染めなして。
おりおりそそぐ秋の雨。

| | コメント (2)

2008/08/17

好々爺のつぶやき

異常気象が続く夏季になってしまった。東京はヒートアイランド現象とやらで豪雨被害が出てしまった。

今日17日は秋雨のような降雨と、どんよりした暗い雲は光をさえぎり夕刻の暗さである。08817 お盆も終わったので車や人影はない、各家々から帰省していた賑やかな子供たちの声も去り静寂な団地に戻った。、

歩道には枯葉がたくさん落葉している。ときおり猛スピードで排ガス音拡大器から大きな排気音を響かせ疾走してくる。車は轍の水を車道まで放物線を描いて飛んでくる。私は傘で防御しなければびしょ濡れになる。

現代の社会は勝ち組・負け組で争っている。若者は日本の将来を見失っているためだろうかその不安が必要でないスピード、騒音に転嫁しているように思えた。

また静寂が戻った。歩道の枯れ葉が多いのも異常のように思う。童謡を口から出まかせに唸りながら歩いている。そうでもしなければこのさびしい情景を一層さびしくしてしまうのである。

今年も秋がすぐに訪れる季節になった。木枯らし吹きすさぶ冬将軍襲来も近い。

坂道になった最近息切れがすると思うのは心臓のことである。瞬間の休みもなく鼓動し続けているこの我が心臓、もう耐用年数に来ているのだと思いながら帰宅した。大宇宙と一緒に今を生きていることに感謝した。

TVでは高校野球の熱戦が映っていた。球児たち、応援者たち、の目の輝きは希望にみちていた。・・・・・・しかしプロ野球の選手選別試合のように感じる。優秀選手は億単位での契約が待っている この世界も個人の勝ち組 負け組の世界なのだと思った。

心の時代が来るのはいつのことやらと考えながら今日も終わった。

 

| | コメント (6)

2008/07/31

夏季の野鳥囀りは強い

Sany0001 今日は梅雨らしくない天気に恵まれた。洗濯物を屋外に干して日課である散歩に出かけた。道路脇の草花も活き活きしている。

樹木からは夏を告げる野鳥の活発な囀りが強く響く 春の穏やかさとは違う 強い夏の太陽と比例して高音になると思った。明日から8月に入る。異常な夏季にならぬよう祈りながら汗を掻き掻きの散歩であった。

野鳥囀り縄張り宣言か?

この夏鳥の名はサンショウクイではないだろうか(フリー百科事典)で見ました

| | コメント (6)

2008/07/28

級友が逝く逝く

男子平均寿命を到達した旧友が次々に逝くようになった。昨年から今年にかけて3人が逝った。この心境は言葉では表せないが社会から孤立して行く感は免れない。孤独と生きづらさを感じる。老人とは慢性のうつ病であると思う。高齢者の自殺者が自殺者全体の36.6%を占める。政府はこれに追い討ちをかけるように高齢者だけを切り離した後期高齢者医療制度を発足させた。私にも昨日医療保険料の決定通達がきた。高齢者の生きる希望を暗くする政策が次々と打ち出される。自動車運転免許証も70歳以上は特別講習料を自費でだして受けないと免許交付にならなくなった。自動車は運転しないことにした。行動範囲が狭まるのは必至である。

高齢者をターゲットにしたおかしな勧誘の電話が入る。迷惑電話対策機能の付いた電話機に変えた。必要でない経費が多くなった。

老人ホームでは老人を幼児扱いである「ハイ、運動しましょうね」・・これでは情けなさ感じない方がおかしい。一人で暮らして死にたいと思う老人が多くなったと聞く。さもあらん

老人の自死が増加するのは必至の日本社会条件が確立されている。

|

2008/07/26

ヒグラシ蝉の初音を聞く

梅雨のどんよりした夕暮れ、窓を開けてむかえの薄暗い丘林を眺めていた。どんよりした雲と湿りけをたっぷり含んだ空気で気温30℃に近い。6月7月と級友が二人逝ってしまったことを思い出させてくれる情景である。

そこにかすかにヒグラシ蝉の鳴き声が聴こえた。妻は私より聴覚が悪いので「聴こえないよ」と言った。蝉は地面から這い出して木を登ってるのだろう 2回目の鳴き声が私にはまた聴こえた少し大きな鳴き声になった。数分後今度は大きく聴こえた妻も「聴こえたよ」と言った

ヒグラシ蝉の鳴き声はなぜ「物悲しく美しくなくのだろう」と思いながら窓を閉めた。梅雨時にふさわしい鳴き声を今年も聴けたのは幸せである。

あと数日で8月に入る季節の移り変わりは速いと感じるこのごろである。

|

2008/07/01

空中を浮遊してみたい(思い出)

今日は七月一日 七月文月に入った。天気予報では雨曇りとなったいたが「予報は完全にはずれた」夏の天気となった。青空を見ていると空中をフワリフワリと滑空して見たいと思う。四年前の五月,宮崎に旅行に行ったとき,ハンググライダーが五月晴れの日南海岸上空を滑空していたことを思い出した。いいな~と見惚れていたらグングン近づいてきた。手を振ったら振り返してくれた。頭上に来て飴玉を投下してくれた。また上昇気流に乗り沖合いに滑空して行った。操縦手は30代と見えた。平和な世の素晴らしさを感じた。時間が静かに流れていた。

Guraida

| | コメント (5)

2008/06/28

歩く姿について

日課としている散歩でいつも思うことである。私の歩く姿は歳を重ねるごとに前傾姿勢になって来ていると思う。これではいけないと意識的に立ち止まっては背を伸ばす。「人のふり見て我がふり直せ」の言葉が当てはまるのではないかと思っている。すれ違う、同年輩らしい老人を観察して見るようになった。両手を極端に大きく振って歩く姿はドーも好きではない運動であればいいのかもしれないが、人生の空白の無くなって来ている人々は概して一所懸命に意識して歩いているように見える。私と同じである。

これに反して、これから成長して行く若者達の歩く姿が美しくないのが多くなった。靴の履き方を見ていると心配でしょうがない。先ず女性の方々は殆どハイヒールである。その履き方と歩き方が、それはそれは将来関節に障害が起きる状況にあるのではと思うような足が極端にハ型で歩いて居る人が非常に多いのに気付いた。ハイヒールだけは形は好いが履いてる人の歩く姿は不恰好でとても美しい歩きとは思えないのである。私は筋整復院専門の先生に質問して見た。「ハイヒールの歩き方を正しく理解し歩行しないと障害は必ず出る」との、お話であった。TVニュースで見る限り外人女性のハイヒールの歩く姿はまことに美しい。自分の歩く姿を動画で撮影して見てはどうだろうかと思う それよりも、中年になる頃には関節痛で悩むことになる。また地下鉄の歩道でパタ パタと大きい音がするのは大抵ハイヒールから出る騒音である。靴底材質を音が出るように作ってあるのであろうか、昔良く下駄を履いていたがその音は木質音であったので柔らかい最も道路は砂利道が多いから音が自然音に近かかった。ハイヒールの靴底の高音は頭のずいに響く音である。

男性の若い人は靴のかかとをつぶしスリッパ状にして履いている人が多い。歩行上非常に危険である。女性の方にも同様に履いている姿をみかける。身体の姿勢も悪くなると思う。時代を担う日本の大切な若人達である。歩行は健康の原点であることを認識して欲しい。

水泳選手が新アイデアの水着を着て新記録を出したTVニュースを見た。人体と水着が完全に一体となった美しさに見惚れた。

靴も人体と一体となった動きをするときも同様に美しい。靴の設計も一考を要するのでは無いのだろうか 万葉の頃から日本女性は美しい 男性も凛々しかった。とある図書で読んだことがある。

私の若い頃は出かける時にはシッカリと靴紐を結んでいた。すると足がかろやかに歩行できたことを記憶している。年老いた今はゆっくりゆっくり歩いている。

ビルのガラス窓に反射している我が姿らしい映像を見た。右手を上げて見た。たしかに77年7ヶ月を経過した我が姿であった。

 

| | コメント (6)

2008/06/23

薔薇満開の一言

Hana3_5 今年の薔薇が満開になった。「貝ケ森公園」

純白が綺麗に目立っていた。入梅宣言の日は夏の天気になった。小さな薔薇園の薔薇は真っ盛り露雨に汚されぬうちにと思い撮影 毎年のこの繰り返しが幸せと思う。

| | コメント (6)

2008/06/01

水無月

今日から六月、平成20年も半年を過ぎた。今年の夏の天気は異常気象にならないよう祈っている。

ここしばらく海を見ていない。

海を見ると私の故郷、日本海に浮かぶ夕日に映える佐渡島を思い出す。と同時に少年のころ浜辺で歌った曲は「海ゆかば」や童謡「夏は来ぬ」等である

信時 潔作曲 「海ゆかば」の歌詞は大伴家持の長歌の一節と聞いた。

この曲は素晴らしい壮大な曲であるが戦時中に戦死した兵士の鎮魂歌として演奏されていたので戦後は一切演奏されなくなった。

信時 潔氏はバッハの曲を勉強されたと聞く 鎮魂歌として作曲したのではないと思う。

現代ではこの曲を歌える人は70歳代以上だろうか

私はバッハを聴いているような錯覚に落ちいるくらいメロデイは美しいと思う。 戦争は名曲までも消してしまうのである 

「夏は来ぬ」佐々木信綱・作詞 小山作之助・作曲

うの花のにほふ垣根に時鳥 早もきなきて忍音もらす 夏はきぬ・・・・Photo_2 

青い空に白い雲が浮かび、身も心も開放的になる初夏に歌いたい歌が「なつ~は きぬ~」である

池田小百合著 日本の童謡 実業之日本社 の189ページ4行目・・・・美しい古歌(万葉集・・・)の言葉が使われています 形態は、ほぼ短歌と同じ五・七・五・七・七の三十一文字(みそひともじ)に、各節共通して「夏は来ぬ」の五文字で締めくくられています・・・・

私は日本の四季の美しさが美しい日本の古歌で歌われているこの歌が大好きである

 今年も海を見る季節になってきた。

| | コメント (6)

2008/05/29

日々のニュース

デジタル放送開始が数年先に開始されると報道されている。パソコン機能も融合された新機種のTVがあふれるように発売され続けている。一方放送している番組をみて私が鑑賞したいと思う番組はない。ニュースは毎日悲惨なニュースばかりである。

敗戦後,祖国復興の「錦の御旗」を心に掲げ働いた。そして退職して13年たった。

豊な生活は実は環境破壊に繋がりそして競争主義が心の退廃につながった。
このような現状になることを予見していた賢人もいたのにその意見は取り上げられず「豊のことは好いことだ」と思っていた国民が大多数であった。私もその一人である。競走馬の眼に正面しか見られないようにしたメガネを付けられたように「豊な社会」に向い全力疾走を続けた。

先進国が消費する膨大なエネルーギーが地球環境破壊につながり自然とともに生きている発展途上国の人たちが飲料水としている地下水までが海面上昇で塩分を含み飲めなくなっている。そしてかつては肥沃な土地で農作物が豊富に育っていたが塩分水では育たないという。

人工衛星からみた地球汚染がいかに大きいか知るこができた。

大量消費・大量廃棄・が人間と同じ遺伝子をもっている地球上の生き物まで絶滅破滅させているとの報道がなされている。朱鷺だけではないのにと思う 一日に一種ずつ絶滅していると聞いた。

私は今使ってる水があまりにも清潔で豊富に使えることが心の大きな負担になっている。

朝の歯磨きもコップ一杯で済ませたり、油気のなくなった老いた顔はタオルで拭くだけで充分だ。 こんなことをしても汚染防止に寄与しないことは分かっているが塩分の含まない地下水を求め歩く発展途上国の人達に申し訳ない気持ちでいっぱいになるからの行為である。

地球温暖化をもたらした先進国にも大きな被害をもたらしている。気象の大異変が起きてきた日本も水害・米減収そして海面上昇で東京・大阪・伊勢などで浸水被害が予測されている。光化学スモッグ・熱中症も 樹林も大きく枯れる被害が発生する。新型のインフレインザウイルスも発生するのではないだろうかとも危惧する。

対策は遅々として進まない 今からではもう遅いと思うがドーシタライイノダロー
今こそ自分からなにをしなければならないかを考え実行していかねばならないと思う。役所から通知がないからではなく自ら行動に移すべき時だと思った。

私が長く生きながらえていることが社会に迷惑をかけている思いが日ごとに強まる。今朝も生きていた。

新聞広告には新車・TV・etcと宣伝されていた。 

飢えて困っている人に役に立つ活動しているNPOへ気持ちだけでも寄付して自分の心の負担を軽くしたいと思う毎日である。今日は気温10℃と昨日より12℃も低い気温の乱高下がひどい
毛糸のセータを着て冬姿で散歩しながら「世界は絶滅するしかない」と思い気持ちは落ち込んでいたが、分子生物科学者である柳澤桂子著「生きて死ぬ知恵」小学館を購読したなかの一文が頭に浮かび私の心を軽くした。それは44ページの後半部分の文章である。

・・・・いまから二億五000万年前の大絶滅は一番規模が大きく、地球上の生物の九五パーセントの種が絶滅したという。私たち人類の祖先は、生き残った五パーセントのなかに入ったのである。もし奇跡という言葉が、この世でたったひとつの不思議にしか用いられないならば、いま、いのちが存在している事実そのものを挙げるしかない。一個の生命が発生してくる過程もまた神秘に満ちている。これらを知れば知るほど、子供たちは自分がいかに奇跡に満ちた存在であるかを理解するであろう。・・・・

環境問題に熱心に取り組んでおられる柳沢桂子さんがブログを公開されていましたので私は訪問しては感動し私の残り少ない命を大切に過ごす意義を見出すブログでもあります。いのちの窓をクリックするとリンクします。
{「いのちの窓」は問い合わせが多いのでブログからHPに移されております。}

柳沢桂子 いのちの窓
詩は柳沢桂子さんのブログトップページからです
Song

| | コメント (2)

2008/05/27

自分とはと考える日々終わり

自分とはと考えるとき自分の生きてきた軌跡を何度も辿ってみた。自分の生きてきた流れに一緒に流れる人たちに自然と認められていると感じるときが心の癒しに、生きがいになっていると思う。また自分の思う気持ちを書き記したり、感動した場面を写真・ビデオで表現すること、また好きな作家の著書を読み・音読することが自分の存在を認めると感じ心が軽くなる。

ブログなどは格好のツールである。誰かが読んでいてくれているのが訪問カウンターを見ていると分かる。読んでくれているのか、ただタイトルだけ見て通過しているのかは分らないが、見てくれる人がいなくてもいいのである。自分の鬱積した気持ち、悩み、友との別れなどを書くことによって自分の存在が確認でき「生きる支え」につながるように思っているからだ。

なにもしないで時計とニラメッコして過ごすことが一番辛いことである。加齢するほど体調が悪くなるのでその対策は何か書いてみると辛さが軽くなる。また 一日一回は5分でもいいから外気に触れ新鮮な空気に接することでも効果はあると思った

四季の風の流れ、花々、樹木、雲 どこからとなく聞こえてくる音・音・音などを眺め聞きその変化を肌で感じる効果は、生と死の葛藤、とうの思いを書き記すのに無くてはならぬ情報であり心おだやかにしてくれるように思う。 

誤字 脱字 文章の構成 等々を気にしてはいない。自分の心をしるして書き連ねる文章だからドーデモいいのである。 あとから読んで見ると面白いことがおきる。
文章の表現を改訂したくなったり、辞書を調べてみたくなる。そうなったとき書き直すことも心の癒しにもなる。

書き記すことがドーシテ心の癒しになるかということは心理学的には解明されていないと聞いたことがある。お分かりの方に教えていただきたいといつも思っている。

芥川龍之介氏・川端康成氏・太宰治氏 等々の大文豪が自死しているのは自分には理解できないが、歳を重ね老人になれば脳の想像力は低下する、書き記すことが出来なくなるからだろうかとか、または人生充分堪能したからなのか、そんな幼稚な邪推をしてしまった。一読者としてはもっと生きて欲しいと残念でたまらない。

文豪の方々の文芸作品を読むと人生・人間・自然等々について、自分の脳内に映像として見ることができるような豊かな文章が書き記されていて教えられることばかりである。また自らの死を自覚して延命治療を拒んだ吉村昭氏著「死顔」を読み 生る!素晴らしさを私の心に刻み込まれた。

タイトル「自分とはと考える日々」はこれで 終わりとします。訪問していただいた方々にお礼申し上げます。

私が雲の撮影をはじめて5年にもなりますが私の心に感じた数枚の写真を下記にしるします。雲に関心のある方はごらんください。

| | コメント (5)

2008/05/25

自分とはと考える日々 第4回

国見峠は「自分とはを考える日々」のコースの一つである。峠を団地に整地した高台なので市街地を一望できる。見通しの良い日は太平洋が見える。夜景写真この写真を見る

前立腺肥大手術をした病院に月一回術後の検査に通院に行くにはここを徒歩で行く、四季それぞれに市街の情景が変わるので楽しい。自分の家から徒歩15分でこの場所を通過してゆく。仙台城築城に使われた石材はここから0852512近くにある「唸り坂」と名付けられた坂がある 名前の由来は「国見の山屋敷で切り出された石材を車やそりにのせられ、それを牛や人が引いてこの坂を牛が唸りながら登ったことから名付けられたと聞いた。杉林や山野草がわずかにその痕跡を残している。

自分がそのころ生きていたら重労働に耐えれたかと思った。そのころの人々は麦飯玄米が主食であり、背は低くずんぐりし筋肉も隆々であったのだろう 麦飯玄米が主食 野菜や山の自生している山菜であればこそできた体力であろう。 自分はとてもうらやましく思った。宮城沖地震が必ずくると言われている 近代建築の市街地を眺めながら近代の建築が弱そうに見えた 新潟地震085259でも昔の石材で架けられた万代橋は健在で 少し上流の建築したばかりの昭和橋の橋桁が落下した。人力で築城された仙台城は大丈夫だろうと考えながら 唸り坂を下って散歩した。初夏で各家ではバラ・ハマナス・ハンザ等々の花が色鮮やかに咲きだした。
名前の知らない可憐な山野草が特に美しく思った。

市街地の夜景はYakei.jpからお借りした。夜景を写すことのできるカメラを欲しい

今日は少し歩き過ぎであった

 

| | コメント (4)

2008/05/24

自分とはと考える日々 第3回

生きる力を獲得したいと思う気持ちは日々強くなる。日記を書くことや散歩中にビデオ・写真などを撮ることも生きる力の支えになると思う。すれ違う人と「こんにちは」と声を交わすのも生きていることを感じさせてくれるのである。

犬を連れて散歩している人が非常に多くなった。この団地ができて30年以上経過しているので家族構成も子供が減り高齢の方が多くなった。小学校の児童も激減しているそうである。だから家庭内の会話が少なくなりその対策が犬や猫を飼って生きがいにしている人々が多くなって来ているのだろうか。

団地内の各家からは犬の吠える声があちこちから聞こえてくる そのなかで10か月前の頃と記憶しているが古い家を解体し空地になっていた。
そこに最近モダンナ家が出来上り若い家族が入居していた。ある日その家の前を通った。 赤ちゃんの泣き声が聞こえて来た。なにかホット心が温かくなった。

77年前の自分を考えていた。自分も赤子の時もあったのだな~と当たり前のことを思って苦笑いした。そして泣いている赤ちゃんの幸運を祈っていた。

人は誰かに見られているそして知らない誰れかから励まされていることもありうるのだな~と勝手に「自分とは自分だけでは無い」と思った。多くの方々に自分は支えられて日々生きていると考る。

と思った時 俄かに自分の過去を振り返った。懺悔のことが多いのである。悩み抜いたことや 嬉しかったこと 亡くなった少年時代の友のこと・・・歩くことをやめしばらく公園のベンチで休み回顧三昧の時間を過ごした。

カッコーの声がそろそろ聞こえる季節が近くなった。

| | コメント (7)

2008/05/23

自分とはと考える日々 第2回

五木寛之著「林住期」幻冬舎 の本の帯紙に下記内容の文字に目をとめた

古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。学生期 家住期 そして「林住期」と「遊行期」。
林住期」とは、社会人としての務め終えたあと、すべての人が迎えるもっとも輝かしい「第3の人生」のことである。

これによれば私は「遊行期」にあたるが五木寛之氏の愛読者である私は購入した

私のブログ心タイトル自分とはと考える日々 第1回の記事が私の「林住期」にあたるがこの黄金時代を謳歌するための条件は健康であることそれと資金であろう。

遊行期に関する著書は発刊されていないようだが人生最終の「遊行期」は「死ぬことを考える」ことだそうである。
日本の武士の葉隠の思想「武士道とは死ぬことと見つけたり」と似ていると思った。

さて死ぬとき人それぞれに苦しい時を乗り越えなければ永遠の眠りにつくことはできないと思うようになってきた。

また閑がたくさんある時期ということから遊行という言葉になったのかと勝手に想像した。閑を有効に使うためには健康が第一なのだが加齢になるほどあちこちの身体の臓器がバランスよく動かなくなり閑を過ごすことが苦痛になるので相当に閑の使い方に工夫が必要となる。

心の苦痛も耐えなければならない。それは子供達も加齢が進み身体の不具合も訴えてくるようになる。また孫たちの心配ごとも出てくるのである。いじめ・進学・反抗期等々
現代は快適な暮らしのためのクーラー・全自動洗濯機・住宅関連の新機種が開発されている。その上情報機器の進歩はめざましい、子供たちはゲームに夢中になり外では遊ばなくなった。ゲームの内容は殆ど血が噴き出るような格闘の場面が多いと聞いた、携帯電話でのトラブルも多いのである。暮らしの道具がすべて機械化されてしまったので家庭内の会話がなくなり美しい日本の言葉がなくなった。男子の言葉と女子の言葉の区別が無くなった。

昔はお米を炊くときの歌みたいのがあり母から子に言葉でつたえられていった。
めし炊きははじめチョロチョロ中パッパ赤子泣くとも蓋とるな」 と!

電気釜にこのプログラムが入っていて美味い御飯が炊けるので、ご飯の炊き方など親から子に伝える言葉が消えてしまった。すべて現代は会話と言う人と人の心をつなぐ言葉がなくなったような気がする。

また各家はいつも鍵がしてあり警備会社と契約すれば常時監視の体制もできる。
昔は玄関は開けっぱなしで開放的で隣近所とお付き合いが常時監視に寄与していたのかも知れないと今にして思った。「自分も隣近所に何らかの形で役に立っていた」と思う。自分の存在価値があったのだ「生甲斐につながる」心が解放されている時代であった。日本の四季は、はっきりしていたので季節と対話ができていた。家庭に笑いがあったのである

暮らしやすいための機械化は人の心が閉鎖され言葉が無くなってしまうのだ。
例えばこんな具合である。我が家の浴室タイル床が劣化し漏水した。水は建物基礎を腐食させることになる事実基礎の木材に水が侵食していた。家は長女が継承することにしているので修繕方法等々は私は一切口出し、しないことにしている。
浴室が私より先に逝ったかと長年、浸かっていたお風呂とお別れである愛着があったので寂しさを感じた。新しい浴室が出来上がった。驚いた! ユニット式とかいう浴室も風呂も一体ものである色彩は風呂桶は薄いピンク色でベットと同じなので寝ながら湯に浸ることになる洋式なのだ。壁2面が薄い白に近い鼠色と鏡のある壁は薄いピンクである。両膝を両手に抱いて入る日本式でなくなった。

少年時代家向かいの小母さんの家のヒノキの銅縁の日本式のお風呂の重厚さを思い出していた。

また驚いた。お湯を沸かすのは一回だけスイッチを入れればいいのである。スイッチを入れたらチャイムがなって若い女性の声が流れた「お湯張りをします」7分くらいたった頃に「あと3分でお風呂に入れます」ときた。チャイムがなって「お風呂が沸きました」
長女曰く「年寄りは浴室での死亡が多いので冬は暖房をつけてね」「なに暖房?」天井に温風がでて室温調整もできる。乾燥室にもなるので露の日は便利だとゆう なるほどユニット式であればこそできるのである。私は散歩から帰宅すると汗びっしょりとなっているのですぐ風呂を沸かす。年寄臭防止のためにも、チャイムがなって「お風呂が沸きました」である。

これではまことに味気ない ロボットを相手にしていると同じである。言葉が少なくなるのは当たり前と実感した。

老妻はチャイムがなっても「お風呂わいていますよ」と・・私はほっとして「おお沸いたかい」
と言って長年の言葉を繰り返している幸せを味はっていた。薄いピンク色の浴室で「今日の自分を考えた」非常用の赤いボタンが目についた押せば家族とインターホンでつながる。このまま往生したい気分を考えていた。

現代の中で「自分とはと考える日々」の内容が複雑になり自分は何だろうと考えられなくなってきた。

自分も隣近所に何らかの形で役に立っていた」からこそ「自分とはと考える日々」を考え書けるのだと思った。
寝たきりになると介護・医療保険いわゆる人様の保険料と税金を使うことになるその防止方法は歩いて体力をつけることが基本と毎日実行している。台風襲来の日も雨具を付けて散歩しながら考えた。・・・・つづく

| | コメント (2)

2008/05/21

自分とはと考える日々 第1回

昨日20日の台風で藤の花は地面に白い花びら模様の絨毯を敷いて散ってしまった。今日は台風一過の青空となった。老妻と掃除洗濯を朝食後一休みしてから開始、今日は洗濯日和の予報である。敷布等の大物洗濯をし10時までには物干しに掛けて終わったこれも運動の一つである。

私は仕事から解放されて10年間経過したがその間 童謡・朗読・ヴィオリン等々の教室に通う傍ら中学校の情報科学を郊外講師として経験した。また病気も大腸結腸手術・前立腺肥大手術、思いもしなかった病気をした。いろいろの人との出会いがあり大変楽しく病気は苦しい思い出の10年間であった。

幸せであったのは現役中風邪もひかず健康で過ごせたことである。病気など考える暇もなかったのが免疫力を上昇していたのかもしれない。

いつの間にか喜寿を越えた ものごとにはすべて終わりが来る 楽しい思いを充分に味わった。なすべきことはすべて終わった。今の私には人生の老病死が残るのみである。

「自分とは」と考える日々が続くようになった。力むことなく 大自然の流れの中で生き抜く自分を見つけて行きたい

大自然の流れとは大きな災害も含む、何時遭遇するかも知れない 私は過去に新潟地震・十勝沖・秋田沖を遭遇している。何もない日を過ごすほど幸せはないと思う 就寝するときいつも呟く言葉は「あゝ今日もおわったな~」

わたくしは「ブログ心」で「自分とは」を表現し心の支えとしたいと思っている。

と・・大きなことを言ってみたはいいけれど書けるかどうかは自信がない。 つづく

| | コメント (4)

2008/05/18

初夏に似合うふじの花

五月十八日今年のふじの花が散り始めました。

その美しさの境地にひたり 香りといえ花の房も色も うっとりとして、しばらく見とれていました。初夏に似合うふじの花 

| | コメント (8)

2008/05/17

後期高齢者の安楽死法はないの

高齢者医療費削減のため、後期高齢者被保険者証が三月に届いた。姥捨山行きの通行証のように私には見えてきた。高度成長時期、私たちは無我夢中で働いた。ワークホーリックになった。休みの日に具合の悪くなる病気である。

この時期に働き抜き、生き抜いて来た人たちが今、後期高齢者被保険者証を有無を言わせず突きつけられたと言う感じである。

政府はこの言葉が批判されると「長寿」にしたらという。中身は同じである。あまりにも誠意のない突き放された思いがし75歳以上は死んでくださいと言う裏の声が聞こえてきた。
日本はこの5年間で自殺者が16万人も出ている状況であると言う。悲しいことである。悲しい祖国日本である。

医療の進歩はめざましく病院では患者はパソコンからの医療診断機器の計測デジタルデーターですべて決まる。
そこに経験豊かな医師の診断結果があったればこそ世界一の長寿国家日本になったと思う 

優秀な医師を大切にする制度が盛り込まれているのだろうか、そうでないと、なにか病院には人ではなくロボットがプログラムに従って扱われているようになるのではと思う

さて、この制度は死を待つしかない病気になると延命処置をするかどうか医師から家族が聞かれるらしい? 本人は尊厳死を希望するであろうが家族はその延命を望む方が多いのではないのだろうか、それが家族の絆なのである。

死を迎える時は苦しい時を超えないと死ねないと言われている。ピンピンコロリは宝くじにあたる確率並だと聞いたことがある。
安楽に死にたい気持ちになってきた。自死には大きな障害があるので安楽に08515死ねる制度はできないものかと考えてしまう。

後期高齢者保険証を見るたびに長生きすることは社会に申し訳ないと思うようになった。
人の世が冷たく感じた。私も冷たくしてる一人なのかも知れない。これも長寿のせいかもしれない。

今日も五月晴れ 午前中の散歩道で同年配と思われる老人とすれ違った お互い黙し目礼した あの老人も同じ思いをしての散歩でないかと思った。

人生、空白のページは今年平均寿命に到達する私からすれば"0"である、あとは天命に従うのみとなった。

生命時間を大切にしたいと願いを込めて五月晴れの紺碧の空を仰いだ。

| | コメント (4)

2008/05/14

生命時間を過ごすこと おわり

昭和12年私が尋常小学校一年の吹雪の日の登校の記憶は忘れ得ない。当時の積雪は3m位はあったのではないかと思う。私達は道路より3mも高い雪道を歩くことになる。電信柱の電線が右横に見えるように記憶している。町並みをはずれると砂山から吹き下る強風をともなった雪は睫毛に付着し白い睫毛となる。高学年の児童が先頭にして積雪をラッセルして一列縦隊で、ただ、もくもくと歩く、私の体は冷たく泣きたくなったが学校の校門が見える頃にはみんなの体から湯気が立つ、私も体が温かくなり元気がでていた。

教室に入るとダルマストーブに小使さんが火だねを入れていた「お早うございます」の挨拶をする。「今日も寒かったろう、もうすぐ暖かくなるよ」と笑顔で答えた。石炭がちょろちょろ燃え上がっていた。ストーブの脇に昼のお弁当を温めるための棚があった。

その棚に弁当を置くのであるがその場所は学童の勢力ある者が決める。当然

勢力のある者がストーブの熱を多量に受ける場所に入れるのである。相撲の番付みたいなものである。

お昼時間になると猛吹雪を乗り越え登校し腹を減らしている学童は一斉に弁当の蓋を開ける。横綱級の者の弁当からは湯気がもうもうと立っているフーフーいいながら食べ始める。しかし幕下級の者の弁当からは湯気は立っていない少しだけ暖まっているだけである。上位を占めている者は集落からの学童が多かった。私は町の餓鬼大将ではあったが集落の餓鬼大将には抑え込まれていた。

ときたまではあるが横綱から、おい「今日はここに入れれや」と最高の場所を提供してくれた。当時は陰惨ないじめなどは皆無であった。やさしがあった。

友と今日の遊びの仕方を話しながら下校する。自宅の玄関で「ただいま」と言うと同時にランドルセルを廊下にほおり投げ「スキーに行くよ」と大声で叫び竹スキーを持って裏山に駈けてゆくのである。

雪が降ると町並み砂山もすべて白一色の風景になる。冬の空は灰色となり薄暗い日が続く裏日本特有の天気である。時折太陽が顔を出す時には遊びが活発になるので心は躍った。

チャンバラは春秋に、夏は裏浜で海水浴が主体の遊びで冬はスキーである。私のスキーは竹で作った手製のもので、ただ竹を割っただけである。お金持ちの子はスキー靴を履き格好よく滑走している姿を見てうらやましかったことを覚えている。スキー場は家裏の砂山である 

三月に入ると道路の雪が溶け出してくる日がある。これは春が近くにやってきたと告げている証拠である。冬国で育ったものでなければこの嬉しさは分からない。言葉では現わすことはできない。道路に土が見えてくると早速、長靴から高歯下駄に履き替え歩いてみる。

この感触も経験せねばわからない。それは長靴を冬場中履いていて歩くので、ときには滑るので注意しながら常に歩いているのである。高歯下駄に履き替えて着地するときの感触はまさに地球の引力を感ずるのである。足が大地にしっかり食い込んだ感じである。今でもこの感触の素晴らしさをしっかりと覚えている。春が大地から来たと思う瞬間でもある。

五月は端午の節句を迎える。男の子の成長を祝って揚がる鯉のぼりは、大きな家ばかりである。私は母に「鯉のぼり買って!」と何度も頼むが返事は何時も同じである。

「お隣の家は大きいでしょうお庭も大きいし、お金持ちなのよ うちはお庭も小さいでしょうお金もないし、大きな鯉のぼりは建てられないのよ」

私は諦められなかった。広告用紙の裏の白紙にマゴイとヒゴイの画を描きクレヨンで色づけしハサミで切り抜きそれを物干し竿の先端に付け門に紐で括り付けた。五月の風は暖かく優しく吹いている。私の鯉のぼりは紙製なので見事に旋回しながらオモシロイ泳ぎをした。隣の店屋の小母さんに「あら!立派な鯉のぼりね」と誉めてくれた私は有頂天になり母を呼んだ。「坊 やったはね いいわね 立派に泳いでるじゃないの」そして歌ってくれた

甍の波と雲の波

重なる波の中空を、

橘かおる朝風に、高く泳ぐや、鯉のぼり

私は嬉しかった 自分で作った鯉のぼりを誉めてもらった上に歌まで歌って貰ったことを終世忘れ得ない思い出である。高学年になって学校の音楽の時間に習った。母の歌ってくれた曲名は♪鯉のぼり♪であることが。

昭和16年4月1日から国民学校と改めるられた。男女共学制度導入された試験運用のためか1クラスだけが共学となった。私はそのクラスに指名された。男子・女子と一列交互の席である。私の前の席には同窓で一番と評判の可愛い子の席であった。毎朝登校するのが楽しくなったのは、その子は毎日黒い濡れ羽色の髪形が ・お下げ・編みあげ・おかっぱと変わるのである。私の目の前の子の髪形を美しいと思った。心ときめくとかそのような青春の感覚はなかった、ただただ女の子と言うものはこれほど髪型にこだわるのか不思議であると思ったのである。

確か70歳を迎えた同級会で その子が出席したので尋ねてみた、周囲の者も同じ疑問を持っていたと見え、聞き耳を立てていた。その子のお姉さんが毎朝、髪結してくださったとの事であった。
姉妹ではお姉さんの存在がありがたいことであることを知った。私の姉も優しかった。

生命時間を過ごすこと のタイトルで書き始めて6回続けきたがこれで終わりとしたい。理由は人生の流れで一番有用な時期の生命は誕生して小学校を卒業するまでであると思ったからである。
大正・昭和の尋常小学校の文部省唱歌教科書の童謡が今でも愛唱されています。当時文部省では学童達が大きくなり歳を重ねて行ったとき心に沁み入る童謡を思い出させ、過ぎ去った生命の歌をよみがえらせ生きる勇気与えるための童謡を 学童に教え込んだと聞いたことがある。

故郷・朧月夜・冬景色・春よ来い・里の秋 等々人生の生命が入り込んでいる詩・と曲ばかりである 仕事もすでに終わりすべてなし終えて78歳になんなんとする私は学童のころのことを思い生命時間を過ごすことのタイトルとしたのだった。

読んでいただいた多くの方々に感謝申し上げます。
生命時間を過ごすことその2の記事追記致しました。

*************************************************************************

子供たちに伝えたい 日本の童謡 池田小百合著 実業の友社
234ページ あとがき 

人生で、童謡との出会いは、三回あります。
一回目は幼児期です。母親や周りの大人が歌う童謡を聞き、覚えたうたを歌を歌うようになります 
二回目は、成人して家庭を持ち子供が生まれたときです。自分が覚えた歌を子どもに歌ってあげるのです。演歌や軍歌ではなく、やさしい響きの童謡を歌ってあげると、子どもはその肉声にふれて心を成長させるのです。
三回目は、高齢になってからです。かって歌った童謡を聞くと、過去の楽しい思い出がよみがえります。苦しかったことも歌が癒してくれます

| | コメント (8)

2008/05/12

生命時間を過ごすこと その5

そのころ家の裏窓からの風景は、もやし畑が200mくらい続いているその先は高さ5mくらいの砂山が海岸線にそって横に広がっているのが見渡せる。にせアカシヤの木や黒松が植林されて数年しかたっていなく樹高は低かった。アカシヤの木だけは4m位のものもあったと記憶している。この記憶の証明はチャンバラごっこのための必須の道具である刀をアカシヤの木の刀らしい枝ぶりを折って樹皮を剝く、そのときのアカシヤの青臭い独特の香りをいまでも忘れない。長刀・短刀を作り母が仕立ててくれた着物の帯に重々しくゆっくりと差すのである。刀が作れるアカシヤの樹高であった。いっぱしの武士になったと思い込んでいた。

このチャンバラ遊びも紙芝居のおじさんの拍子木の音が聞こえるとチャンバラは即中止し戦場の砂山から町の道路脇に設置される所定の場所に走る。そこには小さい子供たちや女の子が集まっている。私は背の低い子を前に整列させ背高の順に見物席が出来あがる。小父さんは黄粉飴を観覧料と引き換えに渡す。これも大きな大きな楽しみであった。

町内の子供を集めて夕刻までいろいろの遊び方を見つけては遊んだ「時々母に注意された。○○ちゃんが帰ると言った時にはすぐ帰すのよ」私は町内の餓鬼大将になっていた。

ある日、遊びから外れた子の家に行きその子のお母さんに談判に行ったことがあったようだ。母にそのお母さんから苦情があったと、大きくなってから聞いたがそのことの記憶は私の脳内にはない。母はお菓子折を持って謝罪に行ったと言う 私の記憶にないのは母が私を叱らなかったからであろう。

帰宅の促す声が各家から聞こえてくる夕刻近くまで遊んだ。私は一人になっても明日の遊びを計画するのが好きだった。刀になりそうな枝ぶりを見定めたり、砂山を一部平地にするためトロッコによる砂運搬作業を見物し何時か乗ってみようとか、いろいろあった。何度呼ばれても帰ってこない私を8歳上の姉が迎えにきて「坊やもう帰りなさい!」と叱られることがたびたびであった。

秋の夕日の映える時は砂山が赤く見えた みんなの笑顔も赤色に見えた。

黒い電線に赤とんぼが同じ方向に整列してとまると電線は赤くなる。
空中には鬼やんま・塩カラトンボ等がすいすい行き交う これを捕獲する方法は、糸の両端に石を結ぶ 当時は砂利道であるので捕獲用の石はふんだんにあった。細長い石がよいのである。両手で左右の石を持って鬼やんまが飛来する寸前に上空高くフォオリ上げる。トンボは石を餌と思って飛びかかると糸が羽根に絡まれば成功である。成功率は高くなかったが成功した子供の歓声が上がる 家に帰って昆虫の標本にするのである。

夕刻になると畑の肥料を荷台に満積した牛車や馬車が肥料のくさい臭いを発散させながら砂利道に車音を大きく軋みながら通る。

トンボを捕獲できなかった私の前を牛が大きな尻尾を振り上げると同時に巨大な糞をボトボトと落下させた私は腹いせに牛の大きな糞を板きれに乗せ空高くフォオリ上げた。

格言にある通りのことが起きた。その落下してきた糞がまともに私の天を見上げている顔にビシャリとホットドック状に付着したのである。友はキャーと言って逃げて行った。泣きべそをかきながら家に飛び込んだ 母は仰天した。 夕飯の支度中であった母に叱られながら外に連れ出された。バケツでお風呂の湯を頭から浴びせられ風呂場で洗濯石鹸でごしごし時間をかけ洗浄された。母も私も臭い臭いと連呼し続けであった。

牛の臭いは数日たっても皮膚に染み込んで取れないものであることを知った。今でも老化した脳にも、はっきり記憶されているのである。その臭いは牛を見かけるたびに思いだす。 つづく

************************************************************************
昨日トイブードルの幼犬(名は春)が家族に加わった。老妻が抱き撫でていたが春は腹を上にした。服従しますの行動だそうである。私には見せない 春が上位で私が下位である。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008/05/10

生命時間を過ごすこと その4

登校時には各町内の登校する学童ごとに固まって道草くいながら、ふざけあって往くので時間を充分取って自宅を出るように自然と時刻が設定されていた。この方式を未だに誰が決めたのか知る由もない。学校をめざして各町内ごとのグループが校門をくぐるのである。

このころ私の町内には、お医者さん・会社の重役さん・地主さん等お金持ちの多く住んでる新興町内であったが、父親はしがないサラリーマンをしていたのに高級住宅町内に小さな家を建てた。右隣は会社重役さんの立派な家なので見劣りがした。左隣は味噌・醤油を販売している店屋さんであった。

学校を取り巻くようにある畑は地主さんから土地をかりて農業をされておる人が相当昔から集落を形成していた。だから言葉のアクセントも違うのである。ここから通学する一人、勇君と気があったのか言葉をよく交わすようになった。

ある日、勇君は私に問いかけた「なうちいんがいっか」と言った。私には通じないのでポカンとしていた。また少し語気が強くなって「なうちいんがいっか!」その怒ったような語気に恐れをなした私は黙って理解できぬまま頷いた。勇君はニッコリして今度の日曜日「なうんちに遊びにゆくから」私は、また だまって頷いた。なにがなんだかわからないまま日曜日に勇君と遊ぶことだけは分かった。

「ただいま」元気なく帰宅した。シェパード犬で名前はドロップである。私が帰るとワンワンとシッポ振って吠える。元気のない「ただいま」を不審に思ってか、「母はなにかあったの?」と言う、私はこれこれ云々と答えた。
母は大笑いしながら通訳してくれた「お前の家に犬がいますか」日曜日に遊びに行くから犬を見せてくれ と言う事よ 私は犬のことをインガという言葉を初めて知ったようやく理解でき勇君が家に遊びに来たらドロップを連れて裏の海岸で遊ぶ計画を建てた。母はお弁当を用意するよと言ってくれた。嬉しい元気が出た。Whiteshepherds23ドロップは軍用犬として訓練されているので命令すればよく動く 学童の私でも

写真はhttp://www.12danya.co.jp/photo/
から引用させていただきました

勇君とは年一回の同級会で逢って当時を回想している。彼の畑は現在は高級住宅街となっている。

*********************************************************************

同居している娘は50歳を超えた。子育ても終えたので子犬を飼うことになった。明日家族が増える名前は「春」とゆう名の女の子犬である

| | コメント (5)

2008/05/09

生命時間を過ごすこと その3

小学校入学のための身体検査が学校の医務室で校医により行われることになった。私は母に手をひかれながら学校に向かった。家から2.5kmの道のりである500mも歩けば家並みはなくなり畑が連なる。右手300mには砂丘が見える。これを越えれば日本海である。学校までの道路は日本海と並行している。だから日本海からの春のやさしい海風が頬を撫でてゆくのである。菜の花畑や西瓜畑がつらなっている。母は鼻歌を歌えながら私の手を大きく振って歩いてくれた。高学年になって母の歌ってた曲は「おぼろ月夜」であったことを知った。死ぬまで忘れえぬ思い出の曲となった。

校医が私の耳を見て「これは!お母さんこの子の耳垢を見てあげなかったのですか?」母はこの子は暴れん坊で絶対嫌がるんですよ!と言っていたようだ。校医は耳垢をつまみだして母の手のひらに乗せた。母の驚いた顔をして取り出された茶色の塊を見詰めていた。耳穴がほとんど垢で塞がっていたそうである。

帰り道の音の情景は全く変わった。私は「母ちゃん海の方から聞こえる音は波の音か」

「あら!坊や聞こえなかったの 好かったわね 今度からは暴れないで耳掃除させてね暴れて鼓膜を破いたら大変なんだから」

このときの驚きは今でも鮮明に覚えているのである。母の歌声はずっと綺麗にはっきり聴こえ、だれよりも美しい声と顔をしていると思った。 

あの思い出から70年を経た私の聴覚は聞こえが悪くなり、なおかつ耳鳴りがうるさくなってきているが。脳にはこの時の音を鮮明に高音質で録音されているので嬉しい。続く

今日も20時なった 老妻からお風呂入りますかの問い もう今日も終わったな~と答えた

| | コメント (6)

2008/05/08

生命時間を過ごすこと その2

発声して乳呑児となり、だれかれとなく可愛がられたようだ、 時は猛スピードで過ぎさりいつのまにか町内の人々から悪戯小僧と呼ばれながらも、自宅の前の家の小母さんには可愛いがられた。「坊、汚いわねお風呂が沸いているから入って行きなさい体洗ってあげるから」たいていはいこの声がかかる時には小父さんが帰宅しない日なのであるこを知っていた。母からは小母さんから誘われてもいっちゃだめよと言われていた。小母さんは芸者であったと大人になってから知った。小父さんではなく旦那さんで小母さんはお妾さんであったのだ。

お風呂で小母さんは私の首筋にこびり付いている垢をへちまに香りのよい石鹸を泡立てて丁寧に洗ってくれた。母の場合はもっと手荒く洗濯石鹸で洗うので異様な臭いがする。小母さんの家の風呂桶は檜の長四角で銅板の縁どりがあり肌触りがいいのであった。檜の香りがするお風呂場で大きい3人は入れる。我が家のは釜が見える丸桶で小さく1人用であった。小母さんの手はしなやかで白かった、首筋が綺麗だと思ったのが記憶にある。首筋のことを、うなじと呼ぶこと知ったのは15歳になったころだろう。おチンチンに黒い毛がちょろちょろ出てきたころだっと思う。

家の左隣3軒目は小さな魚屋さんがあった。小父さんはいつも捩り鉢巻をし結び目を右耳の上にして威勢のいい格好で魚をさばき、お刺身をお皿においしそうに配置し飾りの棕櫚の葉を山型に切り大根のつまの仕切りしていた。私の家の庭には池の周りに棕櫚を植えていた。小父さんはよくこの葉を貰いに来ていた。小母さんには子供が居なかった。私は可愛がられた。私もよく遊びに行った。そして小父さんの包丁さばきを刺身料理が出来上がるまでの全行程をジット見つめていた。刺身の皿に載せられない端の切り身を私の口に入れてくれた「坊や 美味いか」私は大きくうなずいた。このときの魚は日本海で取れるきすという名の魚であることが大きくなってから知った。私はたびたび遊びに行っては刺身の切れ端を口にしていたのである。出上がった刺身は小母さんが配達していた。

家に帰って「母ちゃん、うちではドーシテ刺身食べないの?」「坊や 母ちゃんが作った刺身食べているからよ」「魚屋さんの小父さんの刺身と違うよ 小父さんのは美味しいよ」

「魚屋さんのお刺身はお金持ちの家から注文をとって、美味しい、お魚を使って調理しているのよ、とてもお金がかかるのよ!」

母は悲しい顔をしていた。私にも食べさせたかったのだろうと母が逝ってから思い出した。

小父さんと小母さんは家の風呂を貰いに来ていたそのときはいつも頭付の骨だけ付いている魚をぶら下げて「奥さん今日はマグロだよ」母はいつもすみませんね~と言っていた。
魚屋さんの家には内風呂がなかったのである。

親孝行したい時には親はなし 

魚やさんの左隣がお菓子・雑貨のお店であった。この家を頂点として道路は左右に分かれているのである。弓矢の矢じりに当たるところと同じである矢じりは空気を左右に分かれる先端である。それでかその店の名前は「角屋」と呼ばれていた。そのころ公衆電話と言えば お医者さん・重役さん・お店屋さん等々お金持ちしか設置していない。魚屋の小父さんの家はその角屋さんの倉庫を改装して商売していた電話注文は母屋の角屋の小母さんが取次してくれた。時々私の家に角屋の小母さんか私と同い年の女の子が電話が来ていますよと取り次いでくれていた。
私は角屋の小父さんも小母さんも大好きであった。夕刻砂山で遊びから帰る道順が角屋の店の前を通ると私を認めた小母さんから声がかかる、時たま「坊や 夕飯一緒に食べて行きなよ」と誘ってくれる。「うん」私は一目さんに家に飛び込むなり「母ちゃん角屋のおばちゃんが・・・」母は知っているよと言って私の汚れた服を取り換え顔をプリプリしてから「お行儀よくいただくのよ」と注意されてからご馳走に出かける。小父さん小母さん○子ちゃんと私4人で夕ごはんをいただくのである。私は遊びのことなどを夢中で話した。

小父さんは男の子が欲しかったことを大人になってから母から聞いた。

小父さんが配達するときは前ハンドルと後部に荷物籠が付いている自転車を使うのである。ときたま私と出会うと「坊や籠にのれや」と言ってくれ前籠の荷物を後部籠に移して私を前籠に乗せ配達にでかけるのであった。小父さんの眼は細くて優しかった、顎鬚が黒く少しのびていた記憶がある。砂利道路を走るのでハンドルが左右に揺れる 私はキャーキャー叫び歓声をあげた。配達が終わったある日小学校の近くにある競馬場に連れて行ってもらった。馬場は黒松林に囲まれていたので見物するだけなら馬場の土手に寝転がって観戦できる、のどかな競馬場であった。団子売りが「団子いらんかね」と言って天秤を担ぎ黒松林を縫うようにして来た。醤油団子と餡子団子二本買って貰って食べた とてもとても美味しかった記憶が残っている
レースが始まると何番が勝つか賭けをした。その日の出来事を母に得意になって報告するのである。母も嬉しそうに聞いてくれた。幼き日の思い出である。

私の家の前を10mばかり行くと新潟中学校のポプラの木に囲まれた校庭と校舎があった。壮年になったころ作家 坂口安吾 氏がここの中学出身と知った。授業をさぼってよく日本海を眺めていたと何かの本で読んだことがある。となれば、家の前の道路を歩き角屋さんのところを右に曲がってまっすぐに砂山に上れる 一つ目の砂山を上ると、ぐみの木と植林したばかりの黒松の林を進む、二つ目の砂山がある。その砂山を越えると日本海が見渡せる晴れた日には地平線に佐渡島が浮いて見える風景は大好きであった。渚まで200mもあったろうか夏の30度近くの日には草履を履いていていても足裏が焼けるようであった。坂口安吾氏もこのような経験をしたのではと思うとうれしい。

| | コメント (4)

2008/05/07

生命時間を過ごすこと

1930年11月ある日の18時30分に私はこの地球に出現し生命時間がスタートした。今日は2008年5月7日である。77年と6ケ月ゆうよの生命時間を経過した。Earthmaruster

村上和雄×葉 祥明著「世界は1つの生命からはじまった」1~2ページに(・・・は略)

遠い遠い、その昔。今からおよそ38億年前。一つの生命が、地球に生まれました。一つの生命(いのち)はその後、3000万種以上もの生き物に分かれてゆきました。・・・・みんな同じ遺伝子暗号を使っているからわかります。・・・・・・・・・・だから地球上の生き物はみんな、兄弟姉妹です。・・・・・

私は38億年前からつなっがっていると思った。私の意思はないのに地球に出現したことになる。一つの生命を偉大な創造主が設計し38億年経過し私とゆう人間が生きている。これを人生と呼んでおり現代の人生は超高齢化を迎えてしまった。加齢するほど苦悩があらゆる面で倍加している、医療費・介護・生と死の心の葛藤等々偉大な創造主はある目的があって設計した人生道であるから私は耐えて耐えて往かねばならない 楽しい時は短く苦悩は長く続くように設計されていると感じる。・・・次回へ続く

**************************************************************************

これから散歩の時間 次回につづくことにしたいが自分にも約束できないが

今日は高気圧に覆われて朝から晴れ気温20度を超えぐんぐん上昇今年一番の陽気である気象異常なのかな夏の天気だよ今日は  寒がりの私がシャツ一枚で暖かい風を受けて散歩 若葉も一段と緑を増し鶯の囀り音量もおおきくなった。

| | コメント (4)

2008/05/04

薔薇木のトゲに思う

Barared 五~六月に咲くバラは香りが特段に好いと私は思っている。ピンクと薄イエロを折り重ねた花びらを持つバラは何とも言えない美しい姿である。

しかし蔓にはトゲがある。薔薇は美しい色彩や香りで昆虫を引き付け。引き付けた昆虫たちに、受粉を助けてもらってさらにトゲは、植物を食い散らしたりする動物から薔薇が身を守る武器でもある。

不思議なのはこのような仕組みを設計したのはだれなのだろう ここに宇宙を感じた。

トゲに注意しながら(このトゲに小指を刺し化膿して指先を切断された人を知っておるので)

美しいものほど自分を防御して子孫繁栄に繋げているものとおもった。

薔薇の香りを胸いっぱいに吸いこんでみる。ここにも不思議を感じた この香りを精製したのはだれなのだろうと 

私は美しい花を観れて香りを感じる幸せを感謝した。弱視者は見えないのである。
五体満足が一番幸せなのだと加齢するほど感ずるこのごろである。

| | コメント (3)

2007/11/17

秋の別れの日

G.F.Handel: Recorder Sonata Op.1-7 in C

<Recorder, Harpsicord, and Cello>
in リコーダとクラシックMIDEサイト

今日07年11月17日の仙台は高気圧に覆われ絶好の秋景色をむかえた。私の万歩計は12000歩を記録していた。秋景色に浮かれ見惚れた結果であった。予報では明日は平野部でも午後は冷雨か雪の降る所がありそうと言う いよいよ今年の初代冬将軍がお出でになるようだ 最初の雪のひとひらがヒラヒラ舞う季節になる頃の風景もまた楽しいと思う 師走が文字通り走ってくる。私の生まれて78周期目の年がくる

Bansyu

| | コメント (4)

2007/10/07

高齢化時代の一齣

厚生労働省がまとめた簡易生命表によれば平均寿命年齢は、女性85.81歳・男性79.00歳であるという、

統計で見る「高齢者世帯数」
 厚生労働省の平成18年度国民生活基礎調査の概況を見ると、独居老人の急激な伸び率が一目瞭然である。平成18年度の数字を見てみると、「高齢者世帯数」が約8,418,000世帯で、全世帯の約17.8%を占めるようになった。

私は76歳11ケ月である。平均寿命まであと2年 「毎朝」考える~今日はなにをして過ごすかと言うことを。「今日は病院に行く日となると半日はかかるので大きな仕事ができたように感じる」

Rojin

老化は身体に老化性の疾病がでてくる。そこで高齢者はこれの緩和治療のために病院に通うのである。同病患者と話し合えるのも一つの楽しみになってきていたが・・・・

最近の病院待合室は高齢者が非常に多くなってきた。それに歩行困難になった方は杖をつきながらカルテを持って右往左往しているのである。診察の順番を呼び出す看護師さんが何回も呼んでも耳が遠くなってくるとこれに反応しなくなる。早朝から来院しても薬剤を貰うまでには昼を過ぎている。

また診察室から聞こえてくる医者と付き添いの方が居らない高齢者患者の会話を漏れ聞いてると悲しくなる。医者は懸命に説明しているのだが納得がいかないのだ。患者は病院にとってお客さまなのか患者はすべて○○さま~と呼ばれる。

高齢者の急激な増加 医者不足 看護士不足 対応策としてIT技術の高度化が進み診察券はICカード化された。高齢者はこれに対応できない方が多いのである。 

暴走老人!藤原智美著(文芸春秋)の副題に書いてあった。

※ここ数年、高齢者の犯罪が急増している
※脳や生理では説明できない感情爆発の増加
※コンビニたむろする孤独な年寄り
※ばか丁寧化する接客現場で何が起きているか
※過剰な「感情労働」を求める笑顔社会

私はこの本を読んで感ずるところ多々あった。長生きの最後は吾一人になることは必然 当然のことに自己の「生」とむき合わされる。そこにはかならずしもうまい答えがあるとは限らない。

上手い答えをだすためにも最後になるかも知れない今日の「朝」を大事にしようと思うこのごろである。

11月には小学校喜寿同窓会がある楽しみでもあり心配でもある。悩み話が多かろう これが人生だと思う。

 

| | コメント (4)

2007/09/16

残暑残る秋の散歩一こま

Autam 気温30℃を超える日が続くこのごろである。敬老の日も近くなった。今日(9月13日)も炎天下をゆっくり老妻と散歩する。 道端の土手に桃色の綺麗な野花が咲いていた。名が解らないので野花でないかもしれない。

予報では明日も残暑のようだ 夕刻訪問のベルが鳴った。

私の喜寿「お祝い金」を仙台市(5千円)と町内会(3千円)を頂いた。ありがたいことである 残る人生のページが少なくなったことを意味していることでもある。世間様に迷惑かけないことを大切にしたい。健康で生き抜くこととおもう今日の散歩であった。

07913sanpo_2  秋の雲は天高く長引いて浮いていた。

| | コメント (4)

2007/08/30

阿弥陀堂だより、を読んで

私は今年十一月で満七七歳を迎えます。数え年七七歳で喜寿と言うのだそうありますが「喜寿」の言葉は私には実感が湧きません。

配偶者控除も切り捨てられ老齢者にかかる税金は多くなり、通院にかかる費用も大きくなりました。高齢者切捨ての時代になったと思います。現代版、姥捨山のように思います。

新聞紙上には毎日のように高齢者の交通事故や事件が報道されております。!

南木佳士著「阿弥陀堂だより」(文春文庫)を読んで私は思う ここに登場する「おうめ婆さん(97歳)」が四~五十年も山深い阿弥陀堂で独居し暮らしてきたことに対して孝夫が胸を熱くした言葉は、私も同感したのでした。

また人の一生も四季が巡るのと同じなのだと記した「阿弥陀堂だより」に書かれている言葉を、今喜寿の道程を生きる私には生きる心の支えになったのでした。

雪が降ると山と里の境がなくなり、どこも白一色になります。山の奥にある御先祖様たちの住むあの世と、里のこの世の境がなくなって、どちらがどちらだか分からなくなるのが冬です。
春、夏、秋、冬。 はっきりしていた山と里との境が少しずつ消えてゆき、一年がめぐります。人の一生とおなじなのだと、この歳にしてしみじみ気がつきました。

私の同級生は100%病気を持ちでまた、逝かれた友も多くなりました。老齢者の抱える問題は神の授けた試練なのだと感じます。この試練は齢を重ねるごとに多くなります。

十四日前には37℃の高温でしたが今日は秋雨降る気温21℃の日に散歩しながら思いました。

| | コメント (6)

2007/08/17

猛暑の避暑にはナイターが一番

熱波が日本列島を襲った8月15日仙台も、ただならぬ暑さに襲われた。なんと気温37.2℃になった。過去の最高気温の記録78年ぶりに突破したと報じられていた。お盆で帰省していた子供と孫に誘われてナイターに行ってきた。子供は50歳を超えた娘・40歳を超えた長男・孫は28歳・18歳・15歳になっている。私は誘われる身になっているのである。プロ野球はテレビで観戦しているので行く気にもなれなかったが、球場での経験は一度もなかったので先の空白が短くなったので一度は経験しようか避暑にもなるかと思い出かけてみた。行ってみて驚いた。新しくなった宮城球場は立派で驚いたトイレも綺麗でホテル並みだ、サポータの応援がテレビでの観戦では騒音でしかないので音量は最低にして見ていたのだが球場で聞くと、コーラスのようで、調子が良いなかなか良いものである。また守備交代の合い間のショーも劇場でのダンスを見てるようだった。世の中変わった。冬は炭火のみ夏は夕方の打ち水をしての夕涼みの時代は大昔の思い出のみが脳味噌の中で鮮明に映し出されている。球場の投光器の消費電力は相当大きなものとなろう 地球温暖化が気になった。 喜寿の独り言であった。

| | コメント (7)