2009/07/29

タイスの瞑想曲

梅雨明けのないまま文月が終わる。厚い雲に覆われた空と水分をたっぷり含んだ空気が毎日続く。

裏日本はこのような天候が続くのは秋から冬にかけて多かった。少年のころを思い出させてくれる。さびいしい時に聴いていたタイスの瞑想曲が心に浮かぶ。青春にむかっていたころの思い出の一曲である。

いま老境の域にたっして聴いてみたタイスの瞑想曲の旋律は過ぎ去った年月をしずかにふきなでて行き深い感動をこころに沁みこませてくれた。旋律の受け止め方は暮れゆく歳をなぐさめもしてくれる

九州中国地区の土石流災害・竜巻災害で犠牲者が多くなっている。悲しい旋律が悲しみがこころに刻んだ。夏がなく秋風が吹くそうである。異常である 

フルートの音色はこの曲に似合うと思った。

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2009/07/02

文月に思う

あじさいが美しい色彩を放つころである。梅雨の風物詩でもある。色が変わってくることから「七変化」ともよばれているAjisai

今日は七月二日、いつのまにか七夕の月を迎えた。七月七日の夜、天の川を隔てて牽牛星が織女星に会う。これを助けるため(かささぎ)が集まって鵲の重ね橋となり織女が渡るということを幼少のころ亡き母から聞いた そして夜空を見上げたものである。

梅雨が明ければ夏である。海水浴のできる日も近いと待ちどうしくてしかたがなかったことを思い出す。時間がゆっくり流れていると感じた。幼少のときの時計は時間が長いのである。

近松門左衛門 作 人形浄瑠璃 「曽根崎心中」に鵲の橋が謡われている。

朗読教室に行ってた頃、先生にこの「道行」の詠を習った。暗唱できるようになった。とても深い思い出になった。

日本の文化芸術は素晴らしい。日本語の素晴らしさが文化芸術の基本にあったと私は信じる。

詠えの中の「寂滅為楽」とは何のことか私はわかりませんでした。調べてみたら

「生死を超越し、煩悩から解放されて初めて、真の安楽が得られるということ。」

現代では」このような四字熟語など消えて行くのでしょう。政治の世界も「マニフェストmanifesto」と英語熟語になってきました。アメリカと共生しなければ存続できなくなったニッポン 日本の文化芸術は無くなってしまうのだろうかと文月に思う

道行

此の世も名残り夜も名残 死に行く身を 譬ふれば。あだしが原の道の霜。

一足づゝに消えて行く。夢の夢こそ あはれなれ。

あれ数ふれば暁の。

七つの時が六つなりて残る一つが今生の。

鐘の響きの聞き納め寂滅為楽と響くなり。

草も木も空もなごりと見上ぐれば。

心なき水のおと北斗はさえて影うつる星の

妹背の天の河。

梅田の橋を鵲の橋と契りていつまでも。

我とそなた女夫星 必ず添ふと縋り寄り。

二人が中に降る涙 川の水嵩もまさるべし。

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2009/06/15

辻井伸行さんのピアノ演奏に生きるを感じた

まず辻井伸行さんのピアノ演奏「川のささやき」を聴いて下さい。

今日6月15日は梅雨の一休み午後の温かい太陽の日差しを背に散歩に出かけました。
眼の不自由な方とすれ違いました。さっさと軽やかに歩いていました。そこで辻井伸行さんのピアノ演奏を思い出しました。
この全盲の少年が、国際コンクールのトップに上りつめた。私は自分のことのように嬉しく思い心震える思いをいたしました。

そして”人生素晴らしきもの”と教えられ癒されました。

辻井伸行さんは幼いころからピアノが大好だったので楽しみながら自然に上達した結果なのだろうと思いました。
いろいろ報道されている情報から思うことはピアノ教師もご家族からも努力を強いることはなく 
辻井伸行さんの自由に任せていたという。「好きこそものの上手なれ」の例えどおりだと思いました。

五体満足で無くとも秀でた才能を天は授与するのかも知れないと思いました。

ピアニストの吉岡裕子さんが八ヶ岳の麓にある音楽堂での演奏会を聴きに行ったとき言われていました。それはピアノの鍵盤は88 星座の数も88 だから指が鍵盤をタッチしたときその音は宇宙とつながっていると思って演奏しています。と

私はピアノを発明し制作した人のことを思っていました。音楽も宇宙のサウンドであるとおもいます。全盲の辻井伸行さんのピアノ演奏のサウンドは天体の音色のようにも聴こえたのは辻井さんピアノ宇宙とつらなりそして聴衆も一体となるとおもいました。

楽譜をすべて暗譜して演奏するので作曲者が表現したいとおもうメロデイをも辻井伸行さんの脳内に記録されているのではないのでしょうか 作曲者自身が演奏しているような音が出ていると思いました。天体の音楽とはこうゆうことを言うのでしょうか

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2009/06/11

カノン_パッヘルベル

なぜか知らないがカノン_パッヘルベルが聞こえてくると遠い遠い昔に見た映画「小津安二郎監督」「麦秋」を思い出す。美しい風景・優しく美しい日本語・人情を

梅雨の日は静かである 

YouTubeからカノン_パッヘルベルを聞かせていただきました。

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2009/05/10

野バラ

ゲーテの♪野ばら♪といえば、シューベルトとウエルナーの2曲だけかと思ったら150曲以上あると聞いたことがる。

ゲーテの詩に共鳴し感動し作曲される方が多いということだろう 

童は見たり、野なかの薔薇。

清らに咲ける、その色愛でつ、

飽かずながむ。紅にほふ、野なかの薔薇

薔薇の花は若者の愛を表徴すると云う。少年のころ近所の家の庭に薔薇が多品種植えられていた。その家に可愛いお嬢さんが居た。母がその家の奥さまと友達だったので薔薇の季節になると母は私の手を引いて連れて行った。「おとなくしていなさいよ」といつも云われる。

その家が近付くにつれて薔薇の香りが付近の空気を染める。なんと甘い高貴な香りがすると歳を重ねた今になってこの言葉がでてきた。

ゲーテの詩を読むと作曲したくなるのもわかる気がする。朗読でもよいと思った。

長野県松本市では「野ばら」の作曲コンクールを行っていると聞いたことがある。この詩はすべての人に共感と感動を与えているからだろう

童は折りぬ、野なかの薔薇。

折られてあはれ、清らの色香、

永久にあせぬ。紅にほふ、野なかの薔薇。

野ばらは山菜とりの方々には迷惑な存在である鋭い棘があるからだ 「山の自然を荒らすな」という野ばらからのメッセージなのかも知れない。

薔薇の季節も近くなってきた。

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2009/05/01

青葉の笛

今日は五月一日 歳月人を待たず の例えの如く歳月は渓流の如く流れ去る。

昭和三年以前に生まれの人には懐かしい尋常小学校四年唱歌で習った歌の一つに「青葉の笛」という唱歌がある。大正生まれの姉は良くこの歌を口ずさんでいたので私の頭の中に刻み込まれている。哀調に満ちた名曲だと思う。

青葉の季節になると思いだす歌である。

源義経の奇襲で事実上、平家が負けた。一の谷の戦である海へと敗走する平家勢を追討した熊谷次郎直実が、波打ち際で馬に乗った敵将を組伏せて首を刎ねようとその顔をみたわが子と同じころの美少年だった。少年は腰に笛を差していた。昨夜敵陣から聞こえていた美しい管弦の調べは、こ人たちが奏でていたのである。しかし首を刎ねねばならぬ運命にあった熊谷次郎直実は泣く泣く首を刎ねた。
熊谷次郎直実はその後出家をし弔ったということだった。戦争とはいつの世も悲劇である

少年のころ姉から聞いていた物語を綴ってみた。その悲劇をうたった歌詞が

一の谷の 戦(いくさ)破れ 討たれし平家の 公達あわれ

暁寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 

曲はIE検索「青葉の笛」で聞くことができた。わたくしもハモッテみた五月一日であった。

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2009/03/29

梅満開

我が家の梅が満開となった。それも花の数が多く嬉しかった。紺碧の空を背景にした梅はUme_4 見事である。ありがとうの言葉がでた。樹木は春を迎えて一斉に活動をはじめた。人もこの自然の営みから勇気をもらっている。

空気の澄み切っていて太平洋の地平線が今日はひときわ美しい。

自然とは何だろう

大辞林 第二版よると

おのずから存在してこの世界を秩序立てているもの。山・川・海やそこに生きる万物。天地間の森羅万象。人間をはぐくみ恵みを与えるTiheisen一方、災害をもたらし、人間の介入に対して常に立ちはだかるもの。人為によってその秩序が乱されれば人間と対立する存在となる。

とあった。人間は自然を愛さなければならない。制御してやろうなどと高慢なことを考えたならば自然界から人間は追放されるだろう と梅から教えられた。

Ume4_2

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2009/03/14

辞書を引くことを忘れていた

麻生総理の漢字読み違いが多いことが新聞報道されている。
頻繁 ひんぱんを はんざつ 未曾有 みぞう、を みぞゆうと読み違っているとゆう

それでは「私は漢字の読み違いないか」と関心をもちAmazonから検索「読めそうで読めない間違いやすい漢字」山口宗和著二見書房刊」があったのでワンクリックで購入した。

翌日手に入った。早速読んでみた。いやはや私も読み違いが多かった。
本職にしているアナウンサーも誤読しているそうである。国語力が落ちてきた時代と思う。

さらに著者も驚いたことがあったという。

・・・それは「最中」は「さいちゅう」ではなく「もなか」と読むのが正しいのだ。と書いてあった。古語では「もなか」は、物事の中心、真ん中、もっとも盛んなことである。また、最中の月として、満月をあらはしていることも。 食べる「モナカ」は、この満月に似せて作られた商品なのだった。・・・・・

19ページに誤読の定番があったので読んでみた。できばえはこの漢字では、まずまずだった。

この本は非常に勉強になった。何もすることのない老人の私には脳の活性化にも役に立った。良い本を手に入れたことが嬉しかった。

誤読の定番は次の漢字であった。

反古  愛弟子 脆弱 杜撰 塩梅 遵守 

解熱 気配 工面 施行 相殺 錚々たる 

雑言 言質 成仏

誤読防止に役に立つこと間違いないと勉強中です。著者山口宗和氏のブログを検索し閲覧致しました。大変参考になりました。また辞書を引くことをしなくなった自分を恥じました。

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2009/02/06

仙台仏舎利塔参拝

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2008/10/26

晩秋の詩

往く秋を,惜しむこころは晩秋はとくに大きい 
今年,晩秋までに去って逝った友が三人になった。

詩人 伊藤美菜子さん詩集「生きるって」のなかの「自然の中で」を口ずさむ


    ♪自然の中で♪

木に触れる大きな大きな 
木にしがみつく
 抱きついて 耳をあて 心の音を きいてみる

木は何も語らない けれど 不思議と Sany0025
淋しかった 私の心に 力がわいてくる

木は

陽から 水から 土から 風から 
力をわけてもらって 生きている

私は そんな木に触れて 
不思議な力を わけていただく

自然の中で 人は無力 
私は出来ることは 何もない
ただひとつ 木が
陽や水が 土や風が いつもそこにあるように
祈ることは 出来る

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2008/07/27

おくま嘘歌を読む

今日も終日暗い梅雨に過ごすことになりそうだ。深沢七郎著「おくま嘘歌」の”おくまさん”の平和な心やすらかな優しい人柄を思いだし読んでみた。心が滅入ったとき読むと救われるのである。

嘘も誠の真実を語っておるのである。おくまさんは意識して嘘を言ってるのではないのだが読者は”おくまさん”の嘘の言葉に潜む優しい心根が深く深く感じるのである。

だから心が滅入ったとき読むと救われるのであるとおもう。

”おくまさん”の一生は人のために尽くして生きたとおもう。

最後の下りを記してみたい。

おくまは死ぬ時も嘘を言った。枕許で息子夫婦やサチ代が「よくなれし、よくなって」と泣いてくれるので、

「ああ、よくなるさよオ、よくなって、蕎麦ア拵えたり、サチ代のうちへも遊びに行くさ」

と言った。おくまは数えどしの72の秋死んだが体が動けなくしまったので自分では80にも、90にもなったと思っていた。

(おくま嘘歌 昭和37年新潮9月号掲載)

笛吹川地方手毬歌 「おくま嘘歌」の楽譜が掲載されていたが楽譜を読むことができない私は”おくまさん”がどんなふうに歌ったか知りたかった。

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2008/07/04

こころ

若い頃読んだ夏目漱石著「こころ」を読み返してみて驚いた。生と死の葛藤を考える老人Bokasipmurasakituyukusa_2 になった私のこころに大きく響いた。それは人を信じることの大切さと老夫婦の心の心理を素晴らしい言葉に書き連ねられていた。現代となんら変わることが無かったのに感動した。
人を信じないと自分が一生 淋しみを背負って生きていかねばならなくなることを知った。
            ⇒紫つゆくさ 花言葉 淋しい思い⇒

青空文庫HPより

・・・・・「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を>載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬をしりぞけたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」
私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった・・・・・・・

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2008/06/04

うずのしゅげを知っていますか

六月五日は環境の日です。毎日一種の生物が絶滅してるという恐ろしい状況になっていると聞いています。植物も絶滅品種が多くなってると報道されています。

私が八ケ岳散策中(05年5月)に絶滅危惧品種の翁草と幸運にも出会いました。しらべて見るうちに文豪宮沢賢治著 「おきなぐさ」の作品があることを知り早速岩手山麓に行き音読致しました。とても嬉しかった思い出です。岩手では翁草を「うずのしゅげ」と呼んでいることも知りました。環境の日にちなんで再度掲載いたしました。

下記プレイヤーの |>をクリックすると映像再生します。||印をクリックすると音声が一時停止いたします。□をクリックで停止します。ノートPCの内部SPでは音声が聞きずらいのでイヤホーンか外部SPで聞いてください
なお青空文庫さんから「うずのしゅげ」を頂きました。下記動画の後に全文が読むことができます。なおReadingをクリックしますと「アメニモマケズ」ほか芥川龍之介著羅生門を聞くことができます。下手くそな老人の語りです。よろしかったら聞いてください。

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2008/04/27

言葉

その一言が人を幸福にし不幸にもすると思う

現代はメールでの情報交換が主体であるためか真意がお互い伝わらず不幸な出来事があまりにも多い

初対面の人に会った時、言葉を相手の態度・眼光を見て言葉を聞けばその人がいつか親友になることさえある。またいろいろ教えられることも多いのである。昔から「人は皆 師なり」といったものだ。

よって言葉の力は非常に大きいものであるその言葉を聞いた相手が失望のあまり心に大きな打撃を受け悲劇になる場合もある。しかし言葉による損害を蒙っても法律はない。言葉は凶器にもなりうる。

あたりまえのことを書いてみたのだが現代はメールをあまりにも言葉代りに使われているのではないかと思う。絵文字まで盛んにつかわれるようになった 文字の言わんとすることを絵文字で補い言葉に近づけようとしてるのだと思う 若い人からメールを貰った 絵文字が大半で全く読み取れなかった。

言葉が通じなくなってきた現代である。「お待たせですが」・「おたえらに」・「空茶でごめんなさい」・「うちの宿六」「お蚕ぐるみ」「舌を巻く」等々はもう分らなくなった。

母から言われた言葉に「お天道様に申し訳ない」「罰が当たる」(これはよく言われた)

アスファルトの道路は、懐かしい童謡にも唄われた美しい里山をも消してしまった。

日本の風景とでもゆうべき言葉が消えてしまった。懐かしんでいる人々も寿命年齢に達しているから 言葉・里山・高齢者が消える、昔はすべて消える。

でも 、このことは「徒や疎かにしてはいけない」のではないか!とおもう後期高齢者である。

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2008/03/25

唱歌早春賦

「d-sosyun.mid」をダウンロード
右サイドバー「ラインムジーク」より

早春 語ることなし  

早春賦

作詞:
作曲:
吉丸 一昌
中田 章
1.春は名のみの 風の寒さや
  谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず

2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日もきのうも 雪の空
  今日もきのうも 雪の空

3.春と聞かねば 知らでありしを
  聞けば急かるる(せかるる)
  胸の思(おもい)を
  いかにせよとの この頃か
  いかにせよとの この頃か

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2008/01/14

吉村 昭著「死顔」を読んで

新しい年に相応しくないタイトルと思ったが、読んでみると吉村 昭氏の文学にかける情熱に感動した。がんの治療を受けながらの壮絶な取材旅行に徹する生き方に私は「生きる」力を与えていただいたような気がした。奥様の津村節子さんの「遺作についての後書きに代えて」 を読んで,なおいっそう 文学にかける荒れ狂う怒濤のごとき情熱にただヾ頭下がる思いであった。

何度もこの書を読み新しい年の書としたいと思った。関心のある方はYomiuriOnline 本読売堂で吉村 昭「死顔」の書評を読まれたい

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2007/10/12

赤とんぼを見つけた

Autumn
(クラシックMIDIサイトより)

今日10月12日は気温22℃ 秋空の散歩を楽しんだ。1時間30分の太陽光を身体に頂いた。「すすき」は、きらきら輝いていた。70年前の少年時代の思い出は赤とんぼが強く脳に刻み込んでいるが最近は殆ど見当たらない 赤とんぼが電線が赤くなるほど止まっていた風景は今は幻である。1時間30分の散歩中に幸いにも2匹だけ姿を見せてくれた。あわててカメラを向けたが焦点が合わなかったので思い出のような赤とんぼが,ぼんやり映ってしまった。今日もまた思い出を残して過ぎ去った。秋の一日だった。水彩画教室から妻が帰ってきた。「綺麗な秋空だったわね~」 私の呼吸は秋の空気で一杯になっていた。

Susukiakatonbo

赤とんぼ 三木露風・作詞 山田耕筰・作曲

一、夕やけ小やけの 赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か

二、山の畑の 桑の実を 小籠に摘んだは まぼろしか

四、夕やけ小やけの 赤とんぼ とまっているよ 竿の先

三番は省略

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