2014/10/03

みちのく巡礼東日本大震災 福島の巡礼地をめぐる旅 成功

みちのく巡礼東日本大震災 福島の巡礼地をめぐる旅 参加者39名 無災害で21日18時30分仙台駅東口に到着いたしました。降車する参加者の笑顔・笑顔・・・私は責任者の一員として 叫びたくなるような「歓喜と鎮魂」の雄叫びを体内いっぱいに叫んでいました。一方この雄叫は未だ故郷に戻れず多くの被災者・犠牲になられた御霊にも誓いました。
私一人の行動は小さい魂だけど参加されたかたはキット同じ気持ちだと思う。39人の魂は玄侑宗久住職・皆川岱寛住職・橋本龍弘住職のお話を聞き・タオライヤーの祈りの心音を聞き・スイスオルゴールの脳幹に共鳴する美しい響きを感受し・39人の魂が同じ気持ちなった。大きな魂となった。その一人々は友達・ご家族に・職場の同僚にお話をするだろう その声は大きな大きな復興と祈りの合唱となるだろう 千年の塔の犠牲者の名前が刻まれた石板に夕日が美しく転写されていた。タオライヤーの鎮魂の振動が吸い込めるように感じた情景は忘れられない。

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2014/08/02

あの日の悲しみを語り継ぐために・・・ 東北の地に新たな祈りの道を創る

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ちのく巡礼八十八ケ寺」に加盟していただくための訪問活動を実施中です。

  平成25年11月より「みちのく巡礼八十八ケ寺」への加盟のご意向お伺いに訪問させていただいております。
  現在、宮城県、岩手県、福島県の由緒あるご寺院様を中心にお伺いしていますが、平成26年4月現在、加盟に
ご賛同いただいた寺院様は14ケ寺。青森県、秋田県、山形県にも間もなくお伺いする予定です。
  平成27年内には、

東北地方の八十八ケ寺を結ぶ「みちのく巡礼」(祈りの道)を完成させる予定です。

2012/11/15

南三陸福興市

11月14日勾当台公園で南三陸町商工業者が昨年4月から月一Photo回開いている

「福興市」が14日仙台市青葉区の勾当台公園開かれた。
東日本大震災の復興支援に対し、感謝の気持ちを伝えるイベント。

名物のの南三陸キラキラいくら丼や海鮮串焼き等々が公園の紅葉の美しく映えた情景を背景に美味しい香を放っていた。私は妻と一緒に舌鼓を打った。とても新鮮でおいしかった。

そして三陸の復興を願いながら仙台駅まで散歩した。行き交う人々のなかでひときわ目立つのは次代を担う若者のの明るい姿におどろいた。背丈がひときは高くそして明るい雰囲気を感じた。「福興市に参加して良かった。

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2012/07/10

紫陽花の季節の散歩の足跡

7月5日晴れ 早いものでもう7月に入って5日経過した。毎日の日課である。散歩に出かける

I-O DATA製のGPSロガーを購入した。私の散歩の軌跡を自動記録してくれる。

カメラとGPSLOGをぶら下げて散歩の軌跡を取得することにした。衛星から見下ろされ監視されているような感覚である。私の住む自宅は標高が高く往路は下りで復路は登りである。GPSLOGは下記のように記録していた。3kmを56分かけて歩いた。累積標高151mと積算されている。写真と連動して記録されるので楽しい。

 

 

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2012/01/14

宮沢賢治名著おきなぐさ&ヘドロから発電

今日は1月14日どんと祭であるお正月を送る日が今年も来た。一生懸命に生きてきた過去を思い出す日でもある。

老妻と一緒に2005年5月1日に八ヶ岳にいった思い出は特に大きい。「おきなぐさ」に出会いたから!

エバノートにアップした。

自然を愛した宮沢賢治先生らしい発想のヘドロ発電!

広島大学で川のヘドロから電気を発生させた!!偉い 日本

2011/05/23

気仙沼の思い出の旅

09年12月1日老妻とともに晴天小春日和に「気仙沼に電車に乗り行ってきた。
素晴らしい三陸沿岸の風景にみとれた。
仙台に終の棲家にと思い16年前に建築した。そのときの大工さんが気仙沼の大工さんでした。技量が優秀で知られていました。宮大工さんたちと聞いておりました。完成したとき屋根裏に神様のお札を入れておいてくれました。巨大地震にも耐えてくれました。
011年3月11日に巨大地震・津波が襲来しこの沿岸地帯は瓦礫と化してしまった。
痛恨の極みです。
犠牲になった方々に心からお悔やみ申し上げます。

011年3月11日14時46分千年に一度という巨大地震の気仙沼の動画共有からいただいた。
壮絶な光景であります。

2010/10/17

故郷の浜辺ライブカメラを見て思う

仙台に居を構えたのが30年前になる。「故郷は遠きにありて思うものと」強く感じるようになった。体力は衰え気軽に旅行に行くことができなくなったので、全国に設置されているライブカメラをパソコンで見て過ぎ去った日々の一駒一駒を回想し人生の哀れを思う。生家の裏の海辺,新潟市関屋浜から見た海の風景をライブカメラライブカメラをクリックすると見られます)を見つめ、秋晴れの日の夕焼けが美しい日本海をジットみていると、眼が潤む。浜辺で遊んだ友はみんな旅立ってもういない。

80年の時を重ねた我が脳内カメラに鮮明に記録されている浜辺の映像がある。海洋少年団に入っていた私は手旗信号が得意であった。近所の友達に教えてから波打ち際と平行に300メートルくらい離れて手旗信号ごっこをして遊んだ。
手旗信号をすぐに覚えた女の子がいた。手の長い子で背筋を何時もシャンと伸ばしていた可愛い子であった。私から信号を発信すると300メートルはなれたその子から見事な、それはダンスのようにしなやだか確実に長い手に振る旗は良く読み取れた。その信号は「ありがとう」と言っていた。波打ち音があたかも船に乗って交信しているように思えた。

遊び疲れて日が沈むころ童謡「夕焼けこやけ」を歌って家路につく、なつかしい情景である。アナログ時代に過ごしたことが幸いだったと思う。
日本の四季の自然と人が溶け合う「里山」があればこそ美しい童謡が生まれたと思う。{美し歌と思うのは昭和・以前の生まれた人々であるのかもしれない」

今の世はIT時代のおかげでライブカメラを見ることができるが一方このデジタル化の進歩に人の心がついて行けなくなるのではないだろうかと危惧する。
便利なことが人間を豊かにするのだろうか???と不安に思いながらライブカメラを見つめる。

2015年に教科書のデジタル化が実施されようとしている。デジタル化時代の子供たちの脳内カメラは大きく変わること必至である。
人はIT機器を介してコミニケーションをするべきでない。人と人が言葉とアイコンタクトでコミニケーションをすることで脳内に記録される。幼少のころの映像は人生終末期になると鮮明に出力されるような気がする。幼少のころの友は魂の友である。

教科書のデジタル化が実施されたら子供の将来・社会が崩壊してゆくのではないかと心配する。新しいIT時代にあった教育を行わなければならないと強くおもう例えば成績主義をやめ子供の特性をのばしてやる教育と自ら勉強意欲の出る社会構築を期待したい。

私は旅立ちの日がいつ来てもおかしくない歳なのに、日々未来のことを考え心配する阿呆になってしまった。そして「ヒトはどうして死ぬのかと」日々考える。

人は毎日細胞分裂があって生きているが細胞分裂回数は決められていると言う。{(幻冬新書新刊 田沼靖一著ヒトはどうして死ぬのか 死の遺伝子の謎)を読んで}細胞分裂回数券がなくなることは死を意味する。環境汚染・紫外線・Ⅹ線・ストレス・etcで細胞分裂の回数券を早く使い切ってしまう、それは死の終焉が早まることなのだ。

人は必ず死ぬ運命にあるのに戦争で若人が死んでゆく。核保有国が増大しているのは核戦争が勃発する気運にあるということだろうか。経済恐慌が戦争を惹起するかもしれない。テロ行為がますます増大して、無差別攻撃が行われ。原子爆弾を使用されることになれば地球規模の崩壊につながる。科学の進歩が武器に使われることは悲しい。

TVドラマは殺人ものが多いのも悲しい。コンピューターグラフィック技術の進歩で殺人映像は地獄模様である血飛沫をあげる場面をことさら大きく残虐に血飛沫音も過大に放映されている。その影響は心理的無差別攻撃となんら変わらない。

また犯罪画面の特集まで放映して視聴率をあげるために手段を選ばないのも問題である。それを見ている視聴者にも問題ありで子どたちも見ている。成長期の子供に良い影響は与えないのは確実であろう 現実に社会問題になっている。自由主義は何でもやって良いものではない 基盤は人の善悪を判断する良心である。この良い心を育てる時期は受胎してからであるとおもう。

童謡夕焼けこやけ」 のような唄はいつか衰退して、なくなるだろう。IT時代の親は子守唄や童謡を子に聞かせることはないようだ。夫婦共稼ぎ時代の大きな弊害である。また快楽のためにドラッグをあおり中毒になる人が後を絶たない時代になってしまった。農耕民族日本は崩壊しつつある。
 

2010/09/01

八ヶ岳の思い出

カレンダーをめくった。9月1日(長月)である。しかし猛暑がなくならず夏日が続く体調が悪く終日自室ですごし思い出にふける。73歳のころ八ヶ岳に行ってきた。夜空の星が美しく輝いていた。ここは空気が澄んでいるので天体観測の地区として有名である。山麓を散策をしたとき幸福を呼ぶ鳥「ルリビタキ」の囀りを聴いたが姿が見えなかった。またホテル企画の星の撮影講習会があり撮影したが出来具合はわるかったことを悔いていた。

NHKクリエテブライブラリーに素材があった懐かしいルリビタキの囀りを聴いた。それに八ヶ岳の輝く星空の素材もあった。早速素材とコメントを引用して作品をつくり投稿した。足腰の弱ったいまでは
山麓散策は無理になっているのでこの素材は大変うれしかった。

素材のコメントの概要

長野県八ヶ岳にて2001年撮影。小枝にとまったルリビタキがさえずる。ツグミの仲間で、るり色の美しい羽をもつ小鳥。さえずる声も軽やかで、高山の春を彩る。
木立の枝に、ミソサザイがとまっている。10センチほどの小さな体だが、大きな声でさえずっている。美しい声が林の中に響く

八ヶ岳の輝く星空のコマ撮り撮影。緑がかった夜空には、さまざまな色をした無数の星が輝いている。星が速い動きで流れていく

動画枠右下のスピーカーアイコンの右となりの下矢印をクリックすると全画面で鑑賞できます。もどすにはEscキーをおしてください。

2010/03/16

一人旅

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カフェコムサ(Cafe comme ca)で旬の果実や野菜で彩り美しく仕上げた、ケーキを食しながら一人旅を考えた。格安のJRの乗車券土日切符¥18.000を利用しようと思った。伊豆急行下田や日本海側の南小谷ー酒田と乗り降り自由切符で新幹線は指定席を4回も指定できる。競争時代は面白いとCafe comme caのガラス越しに見える仙台駅をみながら思った。

妻は84歳になったお姉さんの家に遊びに行くので私がいないほうが年老いた姉妹が気兼ねなく話し合えるのを楽しみにしてるので一人旅がよいのである。

計画は決まった。まず善光寺 メトロポリタンホテル長野はSuica会員の特別キャンペン中とかで一泊¥5,500、ただしVIeWカード決済が条件という。夕食も朝食も10%引きとJRの包囲網にかかっていると思った。

体調が悪くとも旅行にでようと思った。旅で逝くのもまたよいではないか 天気予報は晴れとなっていた 決定した。ウイトレスにCafe comme caの意味を聞いてみた。フランス語で「このようなCafeはいかがでしょうか」という意味でケーキのためのフルーツではなく、フルーツのためのケーキでお客様に「感動する美味しさ」をお届けするため、こだわりのフルーツを常に探し続けていますということだった。高齢者の私にはフルーツの甘みが気に入り散歩する楽しみにしている。

14日朝東北新幹線に乗車、大宮までノンストップー大宮ー長野新幹線ー上田ー長野12時前に到着、和食をホテルで食し善光寺にむかった。天気予報は外れて冷たい小雨模様の天気だった。2kmの道のりを歩き善光寺に参拝した。

Kotoba 今月のことばを読んで噛みしめた。

この世は自分を正当化するために苦闘している。

翌く早朝長野新幹線ー東海道線にのり熱海ー東京と沿線の風景をみて若かりし頃の思い出がよみがえった。

東京駅は改装中であるここも思い出の建物がなくなっていた。皇居の公園で休憩した。空は紺碧で美しい。

皇居の広場を歩き歴史の変遷を思い描き長生きしてるなあと思う。亡き友の顔を思いだし悲しくなった。

福島駅を通過直後に携帯電話に地震発生緊急予報が入った。とたんに電車も停止し電灯が消えた。福島県沖に地震発生という このような経験をして良かった。15分後発車予定より25分遅れで仙台駅に到着妻と夕食をともにして生きていることの大切さを感じた2日間であった

2010/01/13

ハイチ地震に三陸大津波を思い出す

カリブ海のハイチで12日午後4時53分(日本時間13日午前6時53分)(M)7.0の巨大地震が発生した。多数の犠牲者がでている模様です。大変なことになりました。

三陸大津波を思い出しました。

三陸大津波を昭和40年秋、吉村 昭著「一人旅」でその岩手県下閉伊郡田野畑村に逗留して取材された記事を読み巨大地震の恐ろしさを感じた。

・・・・リアス式海岸の三陸海岸が、日本で最も多くの津波が来襲する地だという知識は持っていたが、それらの堤防を眼にして津波の規模が想像を越えた大きさであることを感じた。・・・・津波から逃れるため高台に駆け登っている時、ふと振り返ると、二階建ての屋根の上に白い波しぶきを上げた津波が見えたという話。・・・・

著者は三陸海岸を一カ月有余をかけて取材し「三陸海岸大津波」として文春文庫におさめられた。

岩手県下閉伊郡田野畑村(現在は町)の字である田老、乙部の被害が最大であった。両字の全戸数は三三六戸であったが、高さ一四・六メートルの津波で一戸残らず流失し、両人口一八九五名中生き残ったのはわずかに三十六名のみであった。さらに昭和八年の津波でも、人家四二八戸が流失、死者は九一一名に達している。・・・・・・・この踏査の旅で、明治29年の津波の体験者2名にあって回想を聴くことができた。・・・・・・

私は、村長の案内で山道をのぼって氏の家におもむいた。眼下に海がひろがっている。・・・・津波が来襲したとき、轟音とともに海水が入口の戸を破って畳の上に流れ込んできたという。
その言葉に村長は驚きの声をあげ、小庭に出ると海を見下ろし、
「驚きましたな。海面から五十メートルはある」と、呆気にとられて言った。

GoogleEarthで岩手県下閉伊郡田野畑と入力をして断崖絶壁の写真をみました。津波があの絶壁の頂上まで襲ったと思うと不気味でもあると感じました。天災は恐ろしいですね。

災害は忘れたころにやってくる。

幼少の記憶

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少年時代の記憶

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